UTF 下之森 in はてな

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転がる男、転がる女

転がる男、転がる女 ©2023 UTF.

あらすじ

 

無職になったので、田舎に帰り、
親の会社を手伝うことになった。


この職場には問題が多い。


問題の根本はわかりきっていて、
しなくて良いことが大半を占める。

 

働く俺は雪上を転がる

泥だらけの雪玉であった。



地元の重力が強すぎる、

いかれぽんちの掌編小説――。


―――――――――――――――――


他サイトでも重複掲載。(外部サイト)

https://shimonomori.art.blog/2023/04/29/rollinrollin/


文字数:約10,000字(目安5~15分)
    各話1,200~2,000字区切り


※読了目安は気にせず、
 ごゆるりとお読みください。


※本作は横書き基準です。
 1行20文字程度で改行しています。


その他の作品の案内。(外部サイト)

https://shimonomori.art.blog/2022/04/30/oshinagaki/

 

雪だるま式人生

―――――――――――――――――

 ◆ 01 新しい職場



10年間働いていた会社が、

不況のあおりで夜逃げした。



路頭ろとうに迷っていたところ、父親から

「会社をがせるから帰ってこい。」

と、厳命げんめいくだった。



俺は毎年年末には、律儀りちぎ

実家に帰って来ているが、

いつもの帰省が再就職へと変化した。



一度救急車で運ばれたと

母さんが言っていたので、

じょうにほだされた感もある。



ぎっくり腰でだまされたわけで、

そんな家族間の些末さまつ冗談じょうだんでも、

ショックを感じるほど、医者が言うには

メンタルが不安定という扱いらしい。



さっさと孫の顔を見せろ

と、言われないだけマシかもしれない。



親父は若くして起業し、

地元の商品を扱うネット通販の

業務を行っている。



いつか潰れるだろう、とき祖父母も

覚悟していたが、思いのほか盛況せいきょう

無理に事業を拡大しなかったので

不況にも強かった。



「カケル、お前はきょうから課長だ。」



なに言ってんだ。と思ったが、

息子を「管理監督かんとく者」として扱い、

残業代を支払わない親父の謀略ぼうりゃくであった。



前の会社では課長でもないのに、

残業代どころか、しまいには給料さえ

支払われなかったのでマシかもしれない。

漸進ぜんしん的にだますのが悪徳企業の手口だが…。



親の会社とはいえ、社長である親父は

家庭と仕事を完全に切り離していたので、

業務内容は俺にはなにもわからなかった。



早朝のまだ誰もいない会社の駐車場で、

近所の子供が作ったであろう

雪だるまだけが俺を出迎えた。



朝は従業員の誰より早く出社させられ、

掃除から始まり、仕出し弁当の確認と注文、

欠勤の電話受付といった雑務ざつむをこなす。



通常業務になればトラックに乗せられ、

丸井まるいくんという年下の先輩社員にしたがう。



「年上に教えるとかマジっすか。

 カケルさんっていくつでしたっけ?」



「マジマジ。32歳。」



「マジかー。姉貴とタメか。っすか。

 あ、俺こんな口調なんすけど、

 大丈夫っすか?」



「問題ないよ。俺、課長だけど

 新入りなんでお手柔らかによろしくね。」



りょうっす。あ、そうだ、

 課長って給料どのくらいっすか?」



家賃やちんもちゃっかり取られてるから、

 たぶん、時給換算かんさんすると、

 丸井くんより低いぞ。」



「しょっぱい課長っすね。」



「だよなぁ。

 丸井くんが昇給できるように

 真面目に働くよ。」



「おなしゃっす!

 んじゃ課長でもビシバシ指導すんで。」



「うん…だから、お手柔てやわらかにね?」



和気わきあいあいとできる、いい先輩で助かった。



集荷しゅうか先を覚え、得意先の挨拶あいさつついでに

顔と名前を覚え、荷降ろし、伝票でんぴょうの確認、

梱包こんぽう、発送、在庫チェック、梱包材の確認、

各種注文など業務の一連の流れを理解する。



専門知識はほとんど必要ないが、

覚える仕事は山ほどあり、

記憶と効率が求められた。



地元が嫌で離れた俺だが、

地域密着な業務は想像したほど

でもなかった。



単に年を取って嫌なことを

忘れているのか、苦痛くつうに慣れて

鈍感どんかんになっただけかもしれない。



それより俺は中学・高校と

バスケをやっていたので、

馬鹿なりに体力自慢を自負じふしていた。



だが、就職して運動から遠ざかると、

こんな通常業務でも息が上がって

軽くショックを受けた。



コーヒーとエナドリけのこの身体は、

徹夜作業にきたえられたものの故障こしょう気味で、

初日からはやくも心臓しんぞう休憩きゅうけいを求めている。



「体力ないっすね。カケルさん。」



「はぁ、丸井くんほど若くないからな。」



トラックの荷台で丸井くんに

品物を渡しているだけなのに、うでが死んだ。

なので休憩させてもらう。優しい先輩に感謝。



60歳未満の男は例外なく

若者扱いされる田舎なので、

甘えられる年下が居るのは助かる。



タイピング以外の仕事は、

もう無理かもしれない。



「そういや、まだ聞いてないんすけど、

 カケルさん、結婚けっこんしてんすか?」



「してない。

 予定もないし、相手もいない。

 ついでに金もない。」



「ないないだらけっすね。」



「前の会社もそんな給料もらってなかったし、

 出会いもないほどいそがしい会社だったな。」



「働かせといて給料出さない

 ってクソっすね。」



ひとり身のお陰で気楽だけどな。

 あぁ丸井くん、だれかと話すときに、

 結婚の話とか振っちゃダメだからな。」



「なんでっすか?」



「そういうのセクハラになるんだよ。

 研修けんしゅうとかないのか。ウチの会社。」



「研修自体、聞いたことないっすね。

 今年帰ってきたウチの姉貴あねきなんて、

 同じこと親戚しんせきにガンガン言われましたよ。」



「田舎もクソだよな。そういうとこ。

 普通にいやがらせだから、認識にんしきあらためようぜ。」



「マジそうっすね。

 姉貴もその叔父おじに酒ぶっかけて、

 ブチギレてましたもん。」



「すごいな、丸井あね。」



俺は30歳を過ぎて未だに結婚してない。

これはたぶん、俺の人間不信のせいだと思う。



都心では未婚みこんは多いとよく聞かされたが、

それを言った上司は結婚していたし、

独身をつらぬいている知り合いも少なく、

実感はなかった。



地元に帰ってくると毎年、中学の同級生だった

誰それの結婚だとか子供の報告を聞かされた。

俺にとって一番興味きょうみのない話だ。



田舎の娯楽ごらくは祭りとセックスしかないのか。

これもステレオタイプだと言われそうだが、

おかげでデリカシーがまったくない。



専務も経理やパート相手に

セクハラ発言を平気で行い、きもを冷やす。



悩みの種はほかにもあった。



 ◆ 02 見えてる地雷



阿畑あはたという中途ちゅうと採用さいようの社員がいる。



勤続きんぞく年数は10年とそこそこ続いているが、

役職はパートの仕事管理という閑職かんしょくで、

俺が挨拶あいさつをしても返事をしない。



挨拶くらいはまあいい。業務と関係ないし。



いまどき人間関係重視とか言い出せば、

体育会系の脳筋のうきん野郎だと思われかねない。



同じ会社の従業員であろうと、

ストレスにならない程度の

適度な距離感は大事だ。



年始にいきなり社長のせがれがやって来て、

課長という肩書きなので不満があるらしい。

とは、偉大なる先輩、丸井くんの偏見へんけん



課長という役職を与えられた俺には、

威厳いげんどころか肩書かたがき相応そうおう権限けんげんさえない。

しかし面倒なので誤解を解く気もない。



業務全体の仕事の流れを把握はあくするため、

阿畑あはたさんの仕事も確認しなければならないが、

その仕事はなんとも効率が悪くミスが多い。



「これ、修正れですんで、

 阿畑あはたさんがちゃんと見直してください。」



「あぁ? なんで?

 パートに言っといたのに…。」



阿畑あはたさんは常にぼそぼそと

可聴域かちょういきギリギリの音圧おんあつ

しゃべるので聞き取りづらい。



ほかの従業員はれているそうだが、

読唇どくしん術の講座でも受けるべきか。



「いま言っている修正指示に、

 パートさんは関係ありません。

 僕は管理者の阿畑あはたさんに言ったんです。

 よろしくお願いします。」



「チッ!」



ぼそぼそした返事の代わりに、

よく聞こえる舌打ちをいただく。



阿畑あはたに間違いを指摘してきすると、

その都度つど言い訳を並べ、

パートに責任転嫁せきにんてんかをする。



彼には自身の認識のあやまちをただし、

勤務態度を改めて貰うのが恒例こうれいとなった。



同じことは何度でも言葉を変え、

相手に理解されるまでねばったほうがいい。



指摘して修正したはずの在庫の数字は、

阿畑あはたというクラウド事業者をかいすと

修正前に戻る同期どうきズレが起き、

俺の残業の主な要因よういんともなった。



社長は彼の尻拭しりぬぐいを、

俺に押し付けたのではなかろうか…。



10年勤務していてあの様子では

解雇かいこした方がマシな気がするが、

注意欠陥ちゅういけっかんなどの可能性もあり、

馬鹿な俺でも気軽にみはしない。



採用した人事が悪い。

つまり専務か、社長になるが――、

現在の責任者は俺なので不問ふもんとする。



春が近づき会社が繁忙はんぼう期に入ると、

俺は忙殺ぼうさつされ阿畑あはたどころではなかった。



それでも通常業務時間は6時間と短いので、

徹夜てつや続きで夜逃よにげされた以前の会社とは

比べるまでもない優良ゆうりょう企業である。

悪徳企業にだまされていなければ…。



いそがしくとも仕事を覚えてくると、

効率こうりつ化を進める余裕よゆうができる。



在庫の確認という阿畑あはた任せの仕事も、

入荷と注文・発送の状況から、

数値のおかしな点はすべてAIエー・アイ

評価させる仕組みをしれっと導入した。



こうした効率化は得意だが、

説明すると仕事が増やされるので、

誰にも広めないのが労働のコツである。



たとえ阿畑あはたに教えたところで、

知恵ちえにはならない。



必要以上の面倒めんどうには関わりたくはない。

特にパートの中には、同世代で主婦もいる。

やぶをつつくも同然どうぜんだ。



阿畑あはた阿畑あはたで、パートに指示を出し、

業務を管理する役目やくめがある。



不可侵領域ふかしんりょういきだ。と、自分を納得なっとくさせる。



利口りこうな過去の自分のおかげで俺は、

自分で自分の首をめることになった。



 ◆ 03 専務の椅子



あたたかくなるとおかしなやつが出てくる。



春の陽気ようきに当てられたのか、

娯楽ごらくりない田舎いなか狂気きょうきか、奇祭きさい奇習きしゅうか。

こんな考えもステレオタイプか?

?

親父おやじが検査入院することになり、

俺は休日だというのに出社して、

社長室にある印鑑いんかんを押すという

お使いをさせられる。



地元のもよおしに参加して

腰の具合が悪化したらしいが、

病院はひまで死にそうだとボヤいていた。



社長には、お大事に。と、

社交的なメッセージを送っておいた。



俺はいそがしいです。とは送らない。

自分の仕事の効率化こうりつかを楽しんでいるからだ。



入社4ヶ月目で社長代理にまでのぼりめたが、

給料は時給計算するとパートと同等だ。



前より下がった気がするが、

気のせいではない。ここは悪徳企業だ。



誰もいない休日の会社には、

防犯装置ぼうはんそうちが切られていた。



それとも前日の帰りに

誰かが装置を入れ忘れたのか。

最後に会社を出るのはいつも俺だが。



誰もいないはずの社長室のとびらをあけると、

専務せんむとパートの中年女性が一緒になって

社長室で田舎の奇習きしゅうもよおしていた。



専務は60手前だというのに、おさかんんなことだ。



俺はスマホを取り出して録画を始め、

ぜんとするふたりに対して質問を投げかけた。



警察けいさつびますか?」



「待ってくれ!」と、先に専務があわてる。



合意ごういうえですか?」



パートの女性もあわてて首を縦に振る。

ここでうそでも否定されれば大問題だ。

お互いたぶん既婚者だろう。



不倫ふりんかぁ…。



まぁ、そうでなくても普通に問題だ。



「ここに入ることを、

 社長おやじ許可きょかしましたか?」



「話を聞いてくれ!」



「まだ始めたばっかりなのに…。」



おあずけを食らっても残念がる女性。

首輪びわまでするのは、どこの風習だろう。



「事情があれば弁護士べんごしさんに

 相談そうだんしてください。」



「なにが目的だ! あっ…

 カケルくんもくわわるかっ?!」



「その発言もセクハラなんで、

 記録しときますね。」



専務はお気楽セクハラ発言によって、

飼い主様である女性にムチで生尻なまじりはたかれた。



れっきとした暴行ぼうこうだが、同意ごういうえであり

プレイの一環として俺は無視した。



「専務は退職希望ですか?」



「いや、いやだ! 定年ていねん間際まぎわに…。」



この会社に定年なんてあるんだろうか。



ただ、こんな田舎では

再就職は難しいかもしれない。



「それじゃあ専務。

 誓約書せいやくしょ、書いてください。

 もう二度と、このような真似まねはしませんと。

 もちろん、ふたりでしてました。

 なんて内容は求めませんから、

 安心してください。」



力強くうなずく専務の悲壮ひそうな顔。

プレイの最中さなかでなければ多少の同情どうじょうもできた。



こうして俺は専務よりもえらくなってしまった。

休日出勤。給料はき。



以来、わずらわしかった

専務の日頃のセクハラ発言も、

俺の前では完全にりをひそめた。



その後のふたりの関係が

どうなったかは興味ない。



隔週かくしゅうに行われる研修にも協力し、

パートたちへの参加もうながしてくれた。



専務と目が合うと

ひどくおびえるようになったが、

そういう趣味しゅみの人という認識にんしきになり、

どくと思うほどの余裕は俺になかった。



結婚しても、不倫ふりんをする人はいる。



どんなに信じていようとも、

裏切られるのは一瞬いっしゅんだ。



だから俺は他人に期待しないんだろう。



 ◆ 04 焼畑農業



この会社は問題が多い。



会社がパートをやとっているのは、

専務せんむとの不倫ふりん奨励すいしょうするためではない。



当然、人手を必要とするためだが、

商品の梱包こんぽう以外にも発送伝票の作成を

手書きで行うのは時間がかかり、

書きそんじや伝達でんたつミスも発生しやすい。



そんな理由で、管理者の阿畑あはたかいする

確認作業が工程こうていふくまれている。



しかしだれかいしたところでミスはしょうじる。

ミスのない人間なんて存在しない。

手書きにこだわる必要もない。



もう古い会社なので機器の導入どうにゅうおくれ、

おざなりにした結果といえる。



そんな阿畑あはたが問題を起こした。



と、決めつけるのは良くないが、

阿畑あはたきらったパートたちが

一斉いっせいめてしまった。



発端ほったんは在庫の不一致ふいっちであった。



それをパートのせいと決めつけ、

阿畑あはたは自分の責任を無視した。



よくある在庫トラブルだが度々たびたび社員や経理けいりが、

愚痴ぐち陰口かげぐちをパートから聞かされ続けた。



まずこれが根本的に間違っている。

愚痴ぐち陰口かげぐち解消かいしょうする問題など存在しない。



在庫については俺も確認しているが、

注意力にける阿畑あはたかいしてはいないので、

原因は別にあると推測すいそくした。



もちろん、パートが辞めたくなる要因よういん

ほかにもなにかしらあったのだろう。



人間関係のいざこざ以外なら、

他所よそのほうが給料がいいとか?

それならば、遅かれ早かれである。



社員の阿畑あはたと、大勢おおぜいのパート、

どちらを擁立ようりつするかといえば、

会社は決まって社員を優先する。



該当がいとう社員にがなければの前提ぜんてい



しかし残ってくれたパートの

作業の負担ふたんも早めに軽減けいげん解消かいしょう

しなければいけない。



丸井くんに穴埋あなうめしてもらい、

俺がひとりで商品の集荷しゅうかまわることになった。



阿畑あはたの仕事量が増える点については、

自業自得じごうじとくと思って貰おう。



パートの募集から採用までは

時間がかかるので、俺はこれを

いままでやっていた手書きの発送伝票をはいし、

専用機器の導入を新たにゴリ押した。



社長のせがれという外から来た人間が、

権限けんげんで現場を混乱こんらんさせるのはよくある話だ。



発送伝票を専用機器で印字いんじさせる作業は、

覚えてしまえばむずかしくはない。



専門知識や、高額なリース料が必要でもない。

こんな作業はだれでもできる。



パートで伝票を作成していた工程が、

受注担当が伝票を作成するようになったので、

まぁ、しぶい顔をされたが、専務に相談そうだんして

給与を少し上乗せするようにした。



ありがとう、専務。



そんな業務改善をしたところで

俺の給料が上がるわけもなく、

仕事は増えるばかりだった。



迷惑めいわくついでにもうひとつ。

専務にあるお願いをしたら、

彼まで渋い顔をした。



「僕もこんな卑劣ひれつな手段、

 使いたくありませんが…。」



俺はスマホの画面を専務に見せた。

専務に書いてもらった例の誓約書せいやくしょの写真。



スマホをひったくって画面に食い入るが、

マムシまれた犬のような顔をして、

とてもこころよく引き受けてくれた。



ありがとう、専務。



いくら相手を信用したところで、

他人は自分の思い通りには動かない。



それならば信用の有無に関係なく、

利害関係で動くように仕向けるしかない。



こうやって出しゃばるので、俺の仕事は

雪だるま式に増加と変化を繰り返す。



増やした仕事で関係各所を連携れんけいさせるべく、

さらにあちこち回るようになった。



雑用に変わりはない。



 ◆ 05 重力の井戸



「ウチの姉貴あねきが、パートで

 手伝てつだってくれるそうっす。」



「ほんと? いいの?」



丸井くんはいい子だ。

丸井あねもきっといい人かもしれない。

人事に関わらないから知らないけど。



丸井くんの口調はやや軽薄けいはくだが、

俺が頼んだ仕事はやってくれるし、

自他じたに関わらず失敗したら支援しえんもする。



普通と言ってしまえばそれまでだが、

普通のことができる人はそうそういない。



なにより俺より体力がある。



給料を上げてやりたいが、

課長という肩書きはあっても権限けんげんはない。

俺も給料は上がってない。なぜ…?



姉貴あねき性格せいかく的に、

 阿畑あはたさんと相性悪いと思うっすけどね。」



「ビールびんなぐるような姉さんだろ?」



悪役あくやくレスラーじゃないっすよ。」



セクハラを受けて、その親戚しんせき

酒をぶっかけた人だった。

普通ではなさそうだ。



「事件起こさなければいいよ。」



姉貴あねきはずっとバンドやってたんで、

 ドラムスティックでっつかれるんす。」



「へぇ、ドラマー? たのもしそうだ。

 それでウチでパートとか…、

 めちゃったの?」



「メンバーがみんな結婚して

 解散って愚痴ぐちってたっすね。

 ヘルプもないんでひまだそうっす。」



そんな丸井くんの姉というのは、

遠目に見ても驚くほど赤い髪をしていた。



丸井あねふくむ新入りのパートさんらに、

梱包業務を教えるのは阿畑あはたの仕事だ。



だが丸井あねけんのある容姿に阿畑あはたひるみ、

いつも以上にぼそぼそとしゃべり、

いつも通りに失敗を繰り返した。



その度に誰にでもなく舌打したうちをするのだが、

新人の彼女は気にもせず手際てぎわよく仕事をし、

パートの先輩たちにも評価されていた。



丸井あねは同期である新入りのパートにも

業務を共有きょうゆうするため、動画撮影をし

マニュアルを作り、業務時間外でも

復習ふくしゅうできるようにしていた。



「そんなのダメだろ! 機密情報きみつじょうほうだ!」



「それ言うなら、個人情報こじんじょうほうっすね。」



と、阿畑あはたは丸井あね本人にではなく、

荷降ろし中の弟の丸井くんに息巻いきまくのである。



「どうなんすか? カケルさん。」



きょう一番デカい声の阿畑あはただが、

どうやら興奮こうふんしていてトラックの荷台にだい

俺がいるのをお忘れのようだ。



「会社の機密きみつはパートには扱わせないし、

 少人数でまわしている現状の業務が、

 少しでも早く改善かいぜんされるなら

 会社としてはなにも問題ありません。

 個人情報こじんじょうほうの取り扱い程度なら、

 秘密保持ひみつほじ契約書けいやくしょをパートも

 当然、読んでサインもらってます。

 阿畑あはたさんがその動画を確認して、

 許可を出せばむ話ですよね?

 もし、勤務態度きんむたいどに問題があれば、

 持ち場をはなれて無関係の部下をめないで、

 彼女を採用さいようした上長じょうちょうに相談すべきです。

 で、つたえておいた梱包材こんぽうざい発注はっちゅう

 やってくれましたか?」



「チッ!」



阿畑あはたはうめきごえのあと反論はんろんもせず、

素直に舌打したうちによる返事をいただいた。



しかしこれもパワハラになるので、

次回の研修できびしく言っておこう。



めまくりっすね、カケルさん。」



「いやでも、すごいな、姉ちゃん。

 マニュアル作る発想と胆力たんりょくが。」



義理ぎりなんすけどね。」



「へぇ。」興味なさそうにするのが一番だ。



姉貴あねきは親の再婚相手の連れ子だったんすよ。

 俺と違って頭はめっちゃいいっす。

 有名進学校かよってたくらいに。」



「それがドラマーに?」



「再婚するときに姉貴が反抗期はんこうき

 警察に補導ほどうされて、うちのオヤジが

 趣味だったドラムを教え込んだんすよ。

 普通の高校に編入へんにゅうさせてまで。」



「わははっ。おもしろっ。

 丸井くんはやらなかったの?

 ギターで親父おやじなぐるとか。」



「んなことしませんって。

 ギターないし。あんのかな?」



ギターの有無うむはどっちでもいい。



「丸井くん、反抗期はんこうきどうだった?

 想像つかん。」



「反抗期の姉を間近まぢかで見ると、

 そんな気起きないっすね。マジで。

 カケルさんはあったんすか?

 反抗期はんこうき。」



「親にはめちゃくちゃ反発はんぱつしたな。」



「なにしたんす?」



「中学のときに買ってもらった

 スマホくして、そのばつでずっと

 キッズスマホ持たされたんだよ。」



本当はスマホを盗まれたのだが、

説明も面倒なのでだまっておいた。



「ひっでーっすね。

 だから親の会社がずに、

 ITアイティ系行ったんすか?」



「あまり関係ないかな。

 嫌なことあってもだいたい忘れてるし。

 じいちゃんとばあちゃんが

 立て続けにくなって、

 反抗期とかどうでもよくなった感じ。

 とはいえ地元にいるのが嫌で、

 就職は遠くを選んだわ。」



「んでも戻ってきちゃったんすね。

 そういうとこ、姉貴あねきと同じっすね。」



秀才しゅうさいでドラマーになったロックな丸井あねと、

馬鹿なバスケ部員からIT系で地元を離れた

正反対な俺の、一体どこが似ているんだ。



結局地元に帰ってきてしまったのだから、

似たようなものか…。



にしても、地元という重力は、

どこにでもあるのだろうか…。



 ◆ 06 記録と記憶



「私、やってません!」



「じゃあなんでいんだよ。」



「わかりませんよ。

 でも在庫確認は、阿畑あはたさんの仕事です。」



「いや、昨日確認したときは

 ちゃんとあったんだよ!」



商品の欠品けっぴんがふたたび発覚はっかくした。



入荷して注文を受け付けたが、

発送の段階で欠品が起きる奇跡ラク

もしくは単純にエラー。



これを阿畑あはたがパートのせいにするので、

そんなときがあれば俺を呼び出してと、

受注担当の先輩社員らに頼んでおいた。



今回は、丸井あねに責任を押し付けていた。

あんなに臆病おくびょうだったのに成長したものだ。

方向性が間違っているけどな。



阿畑あはたは女性相手だと強気つよきに出るので、

職場の割り当てそのものが間違いなのだ。



しかし俺はホッとした。



「殴り合いが始まってなくてよかった。

 で、どうしたんですか?」



「この新入りがぬすんだんだよ。」



「私が取ったって、根拠こんきょあるんですか?」



「逆ギレするな!」



在庫管理の阿畑あはたに責任はあるが、

問題を無視してきた会社にも責任がある。



阿畑あはたさん。」



「なに!」



「あれ。」俺は天井てんじょう指差ゆびさす。



天井に貼り付いた白色の機器。

機器の中央には半球状のレンズ部分が見える。

照明器具ではない。



以前、専務せんむにお願いして休日に導入どうにゅうしたが、

パートが大量にめて間もなく

あわただしかったので気づく人は少ない。



「なんだと思います?」



「もしかして、カメラ?」



丸井あねがぼそりと言った。



「何度もおんなじトラブル起こして、

 僕が無視してると思います? 阿畑あはたさん。」



さきほどまでの威勢いせいはどこへやら。



俺を嫌っているだけなら普段は

舌打したうちで返事をするが、

なにもしゃべらなくなってしまった。



「で、これがWi-Fiワイファイ対応。あのカメラの映像は、

 このスマホからでも見られるわけですよ。

 そりゃ機密きみつや顧客情報は渡さないけど、

 阿畑あはたさんやパートさんにゆだねるのは

 大事なウチの商品ですからね。」



動画を開こうとしたが、

阿畑あはたは俺からスマホをひったくり、

鬼の形相ぎょうそうで床に投げつけた。



「あっ!」



「知るか! こいつがやったんだよ!」



「そうやって証拠隠滅しょうこいんめつはかろうとしたわけだ、

 スマホにしか動画がないと思って。

 クラウド保存されてるんで、

 物理破壊ぶつりはかいしても無駄むだですよ。」



「チッ!」



阿畑あはた舌打したうちして脱兎だっとのごとく逃げた。



見事みごと職場放棄しょくばほうきっぷりに、その場の誰かが

なにかを言うのを待ったほどに。



「すみませんでした。おさわがせして。

 阿畑あはたにはこちらからきびしく言いますので、

 残っている作業を進めてください。」



「いえ、その、ありがとうございます。

 私のせいで、ご迷惑を…。」



「迷惑かけたのは阿畑あはたの方だからね。」



丸井あねはその違和感いわかんに言葉がまごついていた。

そう思っていた。



「あっ、あーっと…、尾鳥おとり?」



「はい?」



この会社の社長は尾鳥おとり

社長夫人も尾鳥おとりであれば、

その息子も尾鳥おとりである。



「私、束刈たばかり。中学一緒だった。」



「たばかり…丸井くんのおねえさんでしょ?」



「いや、ウチは高校で母親が再婚して、

 苗字みょうじ変わったんじゃん。」



丸井くんから同じ話は聞いたが、

束刈たばかり家のそんな事情は知らない。



「へ? へぇー。げっ…。」



思いがけないかたちで、

俺の過去を知る人物に遭遇そうぐうした。



前の会社に夜逃よにげされたときのように、

頭から血の気が引く。



青い記憶がよみがえり、いまから阿畑あはたの後を

追いかけて地元から逃げたくなった。



「なんだ、ここって尾鳥おとりの会社だったんだ。」



重力というやつはこれだから厄介やっかいだ。

俺は重力にしたがい、スマホを取るべく

ゆかくずれ落ちた。



 ◆ 07 転がるふたり



阿畑あはたの件は、画面が粉々こなごなになったスマホから、

専務せんむに報告して尻拭しりぬぐいをさせた。



阿畑あはたのロッカーには

欠品していた商品がかくされていて、

録画を確認するまでもなかったが、

一応いちおう犯行現場らしき記録を提出ていしゅつしておいた。



スマホの修理代は誰が払うんだろう…。



残業はいつもにして長引き、

さらなる人材不足になやまされつつ、

退社の際の防犯装置ぼうはんそうち作動さどうさせた。



自分でころがした雪だるまに巻き込まれる俺。



「お疲れ様です。」



いつもの装置の機械音声きかいおんせいではなかった。



暗闇の中で、真っ赤な人影が現れて

俺はきもやした。



阿畑あはたがさっそくたりの

報復ほうふくにでも来たのかと思った。



そんな度胸どきょうがあれば、窃盗せっとうなす

)けなど

という珍事件ちんじけんは起きなかっただろう。



そうでなくてもあれから専務せんむが、

サプライズで家庭訪問かていほうもんしている。



阿畑あはたの進退はわからないが、

無断早退と窃盗せっとうというふたつの

就業規則しゅうぎょうきそくはんした社員を、

会社が守る理由はない。



「えーっと、丸井くんのおねえさん…。」



束刈たばかりでいいよ。」



一応会社では丸井名義なので、

俺が彼女をそう呼ぶのはおかしい。



「本当に、ごめん…なさい。」



丸井あねこと束刈たばかり砂利じゃりの駐車場で、

突然、両膝りょうひざをついて深く頭を下げた。



この謝罪しゃざい阿畑あはたの件ではない。

俺は彼女の反抗期はんこうき被害者ひがいじゃでもあった。



「あのときは、本当に、迷惑めいわくかけて、

 ずっとあやまることもできなくて…。」



そして俺が地元を離れたかった理由のひとつ。

人間不信の原因。



まぁ過ぎたことだし、お互い水に流そう。

と言いたくもなる面倒めんどうくささがまさった。



しかしなぐさめたところで、

相手は満足しないだろうし、

いまさら怒ったところで嘘臭うそくさい…。



年を取って摩耗まもうし、鈍感どんかんになった。

むかしほど無敵むてきさはないし、

向こう見ずな馬鹿でもない。たぶん。



尾鳥おとりが中学のとき、くしたスマホ。」



スマホを盗まれ、

キッズスマホを持たされた。



俺のえない反抗期はんこうき要因よういん



催合もやいって女子いたでしょ?」



「…居たような気がする。

 リーダー格みたいな子だっけ?」



尾鳥おとりスマホぬすんだところを私が見て…

 おどされて、言い出せなかった。」



「へぇ…。」



本当にいまさらな話にそっけない本音が出た。



盗んだ犯人は誰だっていいし、

失くしたものも戻ってこないし、

過ぎた時間は戻らないし、

結果は変わらない。



雪玉ゆきだまを逆回転させたところで、

積もり積もった雪の上では

雪だるまは大きくなるだけだ。



「でも私が、全面的に悪いんだし、

 許して欲しいっていうのも違って…。」



じゃあなんであやまってるんだろう…。



あやまっても意味はないんだけど…。」



心の中を読まれた気がした。

読心術どくしんじゅつの講座でも受けているのか。



「これって…自己満足?」



言った束刈たばかりが首をかしげた。



「ははっ。なんだそれ。」



「いや、だって…。」



謝罪しゃざいの途中で疑問ぎもんを浮かべて開き直る束刈たばかりは、

俺に怒られないどころか笑われて不思議がる。



「で、いまはバンドマンなんだっけ?」



「いや、解散かいさんしたから。それ。」



そういえばそんな話を聞いたが忘れていた。



「ライブのスケジュールはないんだ。」



「そりゃまあ…、こんな土地で

 弟の職場のパートやってるんだし。」



あの束刈たばかりかぁ…。

という気持ちもまだシコリのように存在する。

もう20年近くも前のことだ。



「嫌なことならもう忘れた。忘れたい。

 俺は他人に期待しないし、信じない。」



「ごめん…なさい。」



彼女は砂利じゃりでスネがいたくなったのか、

足をくずそうとしている。



俺は強要きょうようしてない。パワハラではない。

おまけに業務時間外。



「丸井くんのおねえちゃんだし、

 全く信用してないってわけもない。」



身内ならば、どちらかの失敗で

もう片方の信用を落とすことにもなる。



俺には利害関係りがいかんけいしめして、

他人を動かすことしかできない。



「一緒に会社を手伝ってくれたら、

 俺も助かる。」



誰にも期待や信用はしてないが、

そんな俺でも許すくらいはできる。



ミスのない人間なんて存在しない。



しかし丸井あね束刈たばかり

素の表情で首をかしげた。



「えっ? なにそれ、…プロポーズ?」



「違うわ!」



見当違けんとうちがいもはなはだしい。



ふくれ上がった雪玉は、

変な重力でも生み出すのだろうか。




(了)



あとがき

 

本編に登場したスマホを失くした過去話は、

こちらに掲載しています。(外部サイト)

https://shimonomori.hatenablog.com/entry/deceive/



来週(05/06)も別の作品を投稿予定です。

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