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浮いた女と重たい女

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浮いた女と重たい女 ©2021-2022 UTF.

あらすじ

『売女の娘』『尻軽女』『淫女』

アタシの悪いウワサが学校中に広まっている。

 

2年になってクラス委員長を押し付けられ、

新しいクラスでもアタシの居場所はない。

 

同じクラスで副委員に自らなった、

変わった女子がアタシの隣に立つ。

 

彼女はアタシを慕っているのか知らないけど、

『ママ』と呼んでつきまとう。おかしなヤツ。

 

ウワサを知ってか知らずか、

生徒会長がアタシに告白してきた。

 

短編・青春物語。
――――――――――――――――――――

他サイトでも重複掲載。

https://shimonomori.art.blog/2021/07/02/standout/

文字数:約20,000字(目安30分)

 

※読了目安は気にせず、まったりお読みください。

 

※本作は横書き基準です。
 1行23文字程度で改行しています。

 

姉妹作『重たい女と浮いた女』も同日公開。

https://shimonomori.art.blog/2021/07/02/heavy/

 

初出:2021/07/02

 

 

浮いた女と重たい女

 

1.隣の女
――――――――――――――――――――

 

今日の気分は晴れ。

 

「じゃあクラス委員長は、天沢あまさわ真円まどかぁ。」

 

クラスの生徒たちからの推薦で、
担任教師に呼ばれて教壇に立たされたアタシ。

 

1年のときも前期後期とクラス委員長だったので、
クラスが変わった2年でも「またか。」と
ため息をついた程度で拒否感もなかった。

 

「それと副委員は重松しげまつ美子よしこに決まり。」

 

副委員として立候補した奇異な女生徒が
アタシの隣にならんで立つ。

 

「よ、よろしくね。マ、真円まどかちゃん。」

 

重松さんから求められる握手に応じる。
しっとりとしてやわらかく、肉付きがいい。

 

小さく、ぽっちゃりとした体型。
悪く言えば小柄なデブ。

 

放ったらかしで伸びた髪はボサボサで、
眉毛は手入れしてない雑草状態。
口の上には薄ひげが見える。

 

いかにも教室の隅っこが定位置のタイプ。

 

ジメジメした石の裏にでも好んで生息してそうな
この女子が、なぜか好意の目を向けてくる。

 

クラス委員は教壇に立って生徒たちから
注目を集めるにしても、彼女の容姿から
別の方向で「ヤバい。」と思う。

 

嘲笑の対象になるに違いない。

 

また下の名前で呼ばれフレンドリーにされても、
ほぼ初対面なのでまったくいい気はしない。

 

前期の半年間も一緒にやるには先行き不安だ。

 

今日の気分は晴れ、のち曇り。

 

――――――――――――――――――――

 

「放課後さぁ、新しいクラスのみんなで
 親睦会? 兼ねてカラオケ行くから、
 天沢あまさわさん誘おうってなったんだけど来るー?」

 

「学祭すごかったもんね。」

 

「えー、嬉しい。ありがとう。」

 

悪く言えば、いかにも遊んでそうな
グループからのお誘い。名前はまだ覚えてない。

 

クラス委員長に選ばれたといっても
ルールを尊重そんちょうするあまりに融通ゆうずうが効かず、
真面目で常に生徒の見本となって自分をりっして
ときには他者を啓蒙けいもう清廉潔白せいれんけっぱくであり、
眼鏡をかけてお堅い性格でなければならない…
などの古風な義務や道理もない。

 

多少のことには目をつむり、
社交的だった方がよほど有意義だって
アタシは考える。

 

「あー無理無理、『ママ』はバイトあるから
 どうせ断るんでしょ。」

 

去年まで同じクラスだった子に、
嫌味混じりに横から口出しを受けた。

 

『ママ』というのは
アタシの中学時代からのあだ名。

 

この子の言う通り、アタシは
あとで断るつもりだった。

 

「それマジー?」

 

「ガッカリだわ。」

 

「そうなの。ごめんね。
 機会あるときにまた誘ってね。」

 

残念がられる内はまだいい。
呆れられるまでなら別に問題はない。

 

「ママ…。」

 

「ヒッ!」

 

声に振り向くと間近に人が立っていた。
背後に突然現れたら、誰だってびっくりする。

 

「なに、重松…さん。」

 

自ら副委員長になった重松が
かすれた声で、アタシのあだ名を呼んだ。

 

「先生が、クラス委員は進路調査集めてって。」

 

手を握られて引っ張られる。
お菓子をねだる子供のような行動で、
それにこの子はちょっと距離感がおかしい。

 

彼女の挙動に他の生徒たちから笑われる。

 

「えー。あんたもクラス委員じゃん。
 クラスの全員分を代筆するわけじゃないんだし、
 集めるくらいやってよ。」

 

「あ…うん…。」

 

「役割分担。その方が絶対に早いって。」

 

歯切れの悪い言質げんちを取って、
アタシは彼女に仕事を任せた。

 

アタシはアタシで生徒総会への顔出しや、
後輩委員への指導などの雑事があったからだ。

 

「ママってば仕事押し付けてんの。ひっどー。」

 

「は? 押し付けてないし。」

 

天沢あまさわさんっているかな?」

 

言いがかりを受ける最中、
突如クラスに現れたのは、
3年生の生徒会長だった。

 

「あ、はい。アタシですけど。」

 

天沢あまさわ真円まどかさん? あ、ボクのこと覚えてる?」

 

彫りの深い顔に関わらず、
ひと懐っこさのある童顔。

 

長いまつ毛と長い手足で
それに見合った長身の男子生徒。

 

下手な勧誘をする彼だが、学内で
知らない人はいないぐらいの有名人。

 

「えと、門蔵かどくら…生徒会長ですよね。」

 

生徒会長なんだから
知らない人がいないのは当然か…。

 

名前はたしか、門蔵かどくら史雄ふみおだったかな…。
いつか並んだ選挙ポスターで見たのを思い出す。

 

自慢じゃないけどアタシは、
名前と顔を覚えるのが不得意だ。

 

クラス委員長になったものの、
去年とは違う生徒はまだ名前と顔が一致しない。

 

こればかりはなにぶん興味のない科目なので、
全員を覚えるのに1ヶ月くらい掛かる。

 

「そう。ところで天沢あまさわさんって
 いま誰か特定の相手と
 お付き合いしてたりする?」

 

「え? なんですそれ。」

 

「君はちょっとした有名人だからね。
 空いてるのなら、次は僕と
 お付き合いして欲しいんだけど。」

 

「え? えぇ…?」

 

照れくさそうにする生徒会長の
押しかけの告白に、教室内は騒然となった。

 

 

2.苛立ち
―――――――――――――――――

 

学校が終わればアタシは帰らず、
通学用自転車でそのままアルバイト先に向かう。

 

母親の紹介で近所の天ぷら屋でバイトを始め、
高校入学から既に1年お世話になっている。

 

最初は揚げるだけだと思ってた天ぷらも、
『衣で蒸す』と知って調理の奥深さを知った。

 

今では接客だけじゃなく、
仕込みもたまに手伝わせて貰っている。

 

ピーク前にまかないを貰い、
20時にはバイトが終わる。

 

閉店間際のスーパーに駆け込み
晩ご飯のおかずと朝ご飯の食パン、
それから弁当の材料を買う。

 

たまにスーパーでウザい人にからまれる。

 

家主の知り合いだというが、
無関係なアタシにとっては迷惑極まりない。

 

自転車で夜道を走るたびに思うのが、
早くこの街を出たいってこと。

 

(あと2年の辛抱だ。)

 

アタシはアタシにそう言い聞かせる。

 

マンションの最上階にアタシの部屋がある。
家主はアタシじゃないからアタシの家じゃない。

 

着替えてお風呂の用意をし、洗濯物をたたみ、
遅い晩ご飯の支度をする。

 

アタシは勉強をして家主の帰りを待つ。
進路調査はなんて書けばいいか、
いまのうちに考えておきたい。

 

いまのご時世できれば大学か
専攻に通っておきたいけど、
学費の問題が立ちはだかる。

 

自由にできるお金など持ち合わせてない。

 

就職ならせめてひとり暮らしがいいけど、
いまはこんな小さな欄に書ける目標もない。

 

ペンを握る手が止まる。

 

真円まどかぁー、ただいまー。
 サクラ、ほれ、しっかりしろぉ?」

 

「しゃちょぉー…。もうムリぃ…。」

 

「ふんばれ、サクラぁ。」

 

「…おかえりなさい。」

 

進路調査票を裏返して、家主と
アタシと同じ居候いそうろうのサクラちゃんを出迎えた。

 

「ふたりとも、ご飯は?」

 

「今日は食べませーん。酔ってるので。
 真円まどか、サクラの面倒見てあげて。
 あたし、先にシャワーあびるから。」

 

家主は服や下着さえも廊下に脱ぎ捨て、
脱衣所に逃げて行った。

 

「まどちゃぁーんー。」

 

家主の服を拾っていると、
玄関で靴も脱げずに倒れている
サクラちゃんが救難信号を発した。

 

トイレへ引きずったが、入った途端に
胃の中の液体を吹き出し床を汚した。

 

「ごべーん…。」

 

「大丈夫。掃除するから。全部吐いちゃって。」

 

「ありがどぉねぇ。」

 

顔中液体まみれにして謝罪するサクラちゃんは、
去年から家主の経営する店で
住み込みで働いている居候いそうろう

 

アタシの味方。だけど家主の部下。

 

「これ美味しいねぇ。」

 

「おばあちゃん直伝だからね。」

 

サクラちゃんがたけのこのおひたしをついばみ、
頬を緩めて舌鼓したつづみを打つ。

 

祖母から教わった料理をめられるのは嬉しい。

 

アタシは気を抜くとすぐ太る体質なので、
量も控えめにして食べる。

 

バイトのまかない込みで、
1日4食も食べたら当然だ。

 

それにもう日付は変わってる。

 

「これで彼氏でもいたらヤバいよね。」

 

「いるよ。」

 

「ウソぉ? いまいないって
 まえ言ってたじゃん! 言ってたよね?」

 

「今日できた。」

 

「誰よ! 元カレ? 元サヤ?
 教えて! 後生だから!」

 

「なんでそんな必死なの。
 毎日ベロベロに酔って大丈夫?」

 

「大丈夫。わたし、独身。22歳。
 独立目指して頑張ってまーす。
 お酒飲むのはハッピーだから。」

 

「そうなんだ。」

 

「まどちゃんは彼氏できて
 デートあってハッピーじゃない?」

 

「別に…。普通?
 デートそんな好きじゃないし。」

 

「好きじゃないの? じゃナニやってんの!
 肉食系なの? ウソでしょ?」

 

「ウソじゃない。肉食でもない。
 アタシ、バイトしてるし。
 サクラちゃんの世話で忙しいの。」

 

「はー…なにそれー。
 え、学校は? ちゃんと通ってる?」

 

「通ってますよ。クラス委員だし。」

 

「えー! スゴ…。マジ?」

 

「マジ。これでも去年1年
 クラス委員長だったんだよ。」

 

「ウソぉ!
 なに、まどちゃん、優等生じゃん。」

 

「去年もやったし…。」

 

「ごめーん、たぶん酔ってて覚えてない。
 委員長で料理もめちゃできる…スペック高っ!
 社長うらやましー。
 将来はあといだりするの?」

 

「はぁ? するわけないじゃん。」

 

嫌悪感で思わず口が悪くなった。

 

サクラちゃんの社長こと、マンションの
家主とアタシは母娘おやこで血縁関係だけど、
あとを継ぐなど冗談でも絶対にいやだ。

 

「地雷踏み抜いた。
 あーん、反抗期だー。」

 

「うっさい。酔っぱらい。」

 

真円まどかー。シャワー上がったよ。」

 

「あ、…はい。」

 

タイミングが悪い。
素っ裸にバスタオル1枚肩に掛けて
家主がリビングに現れた。

 

「社長、相変わらずスタイルいいね。」

 

「サクラも酒ばっか飲んでると
 すぐブヨっからジム通いなよ。」

 

「食事中に言われてもムリでーす。」

 

「じゃ、先にお風呂いただきます。」

 

「なにこれ。進路調査…へぇ。懐かし。」

 

食器をシンクに片付けに席を立つと、
目ざとい家主に進路調査票を見つけられた。

 

最悪…。

 

「まどちゃん、社長のあとは継がないって。」

 

「サクラちゃん、変なこと言わないで!」

 

「継がせるわけないわよ。
 あたしまだ32だし。引退する気ないもの。」

 

「若すぎー。」

 

家主は16歳でアタシを産んだ。
父親は当時付き合っていた同級生の誰か、らしい。

 

アタシは知ってるけど。

 

そのまま高校を卒業して大学で経営を学び、
今はバーを経営している。

 

親の経歴のおかげで変なあだ名も付けられた。
子供は親を選べない。

 

子供のアタシはれ物みたいに、
祖父母の元に預けられた。

 

家事がひと通りできるのも、
自分が役に立つと示したいから。

 

誰かのお願いを受けても、
なるべく断らないでいた。

 

そうやって生きてきたから、
いまは自分がなにをしたいか分からなかった。

 

去年のいま頃になって
アタシはこの人の家に転がり込んだ。

 

入居そうそう家主にバイト先を紹介され、
学費や光熱費の立て替えに月6万円の
家賃を支払っている。

 

そこから服代なんかを引いたら、
遊ぶお金なんて手元に残らない。

 

だからアタシもサクラちゃんと同じ居候いそうろう

 

「それ返してください。」

 

「はい。あげる。怒ってんの?」

 

「別に!」

 

「あーあ、怒らせたー。」

 

「はぁー? あたしのせいじゃないでしょ?」

 

ふたりの声を背にして、
着替えを取りに部屋に逃げ込んだ。

 

はっきり目標を持っていないアタシは
アタシに腹が立っただけなのに、
八つ当たりっぽくなって余計に情けなかった。

 

――――――――――――――――

 

気分は曇り。

 

学校では副委員の重松が
アタシにつきまとった。

 

身体測定は一緒に計測し、体力測定でのペアに、
移動教室では隣の席に陣取り、
お手洗いに至るまで彼女のつきまといは続いた。

 

アタシがナニしたっていうんだ。

 

お昼休みにはアタシは
弁当を持って教室からさっさと逃げて、
非常階段で食事をするのが常となった。

 

春の陽気に浮かれた男女が、
ひと気のない校舎の影で仲睦なかむつまじく
食事『など』を行っている。

 

生徒指導も時間の問題だ。

 

ウチの高校の偏差値はそんなに低くはないけど、
重松が高校生やれてるぐらいには生徒に甘い。
少子化の影響で定員割れを起こした高校だ。

 

だからか知らないけど学校内での不純異性交遊は、
よっほどのことじゃなきゃ校則の規定に反しない。

 

生徒会長もあの調子でアタシに告白した。

 

それに生徒指導が入る頃には、
だいたい手遅れだったりする。

 

地上を見下ろしながら食べる今日の弁当は、
火加減と味付けにすこし失敗した野菜炒め。

 

アタシのいない間に、
アタシのウワサは教室でひとり歩きを始めていた。

 

「とっかえひっかえ。」

 

「朝まで男と遊んでいる。」

 

「カエルの子はカエル。」

 

わざわざ訂正するのも面倒だし、
もとより教室に居場所はなかった。

 

アタシのウワサ話を広めているのは、
男子ではなく決まって女子だったりする。

 

事実はねじ曲がって伝わる伝言ゲームで、
アタシは伝説のモンスターみたいになった。

 

女の敵は女とはよく言ったもんだ。

 

金曜日、ようやく学校に開放されると思った週末。
クラス委員ふたりそろって職員室に呼び出された。

 

「あのなぁ、新年度早々こんなことで
 呼び出すなんてしたくはないんだが。」

 

「はい。そうですね。こんなことで、
 アタシも呼び出されたくはありません。」

 

「わかってんのか。
 進路指導の先生から怒られるのは俺だぞ。」

 

「それは甘んじて受け入れてください。」

 

天沢あまさわぁ…。
 お前も調査票出してないんだぞ。」

 

「その件は重松さんに一任してました。
 期限についてアタシは報告も受けてません。」

 

進捗しんちょく確認するのも委員長の役目だろ。」

 

「じゃあ副委員の役目ってなんですか?
 重松さん、向いてないんじゃないですか?」

 

その重松さんはさっきからひと言も発せず、
ずっとうつむいている。

 

担任教師とアタシが誰のせいでここにいるのか、
このトラブルメーカーは自覚しているのかな。

 

「そう言うなよ、天沢あまさわぁ。
 重松は自分から副委員に立候補したんだ。
 天沢は去年もやってたんだから、
 サポートくらいできるだろ。」

 

副委員をサポートするのが委員長の仕事じゃない。
分かっていておかしなことを言っている。

 

「はぁ…。先生が委員に求められるのは、
 汗水流した努力よりも目先の結果ですよね。
 その問題の解決って結局、本人次第ですよ。」

 

アタシは反抗期。

 

理想と日和見ひよりみを掲げるこの先生に対し、
アタシなりの意見を述べて職員室を出たら、
ずっと黙っていた地蔵がしゃべった。

 

「ごめんなさい…、ママ。」

 

「アタシ、あんたのママじゃないし。」

 

そのあだ名で呼ばれるのは好きじゃない。

 

「このくらいできないなら、
 さっさと辞めた方がいいよ。」

 

突き放した方が、お互いのためだと思う。

 

「アタシ、バイトあるから。
 いつまでに集められるの?」

 

「日曜…。」

 

「は?」

 

「日曜、デート、だよね。」

 

「盗み聞きしてたの?」

 

「だって、教室…だったから。」

 

「あんたに関係ないでよね?
 進路調査、さっさと集めてよね。
 じゃあ、サヨナラ。」

 

廊下を足早に歩き、バイト先まで
自転車を盛り漕ぎする。

 

つきまとわれたに、
任せた仕事ひとつもこなしていない。

 

そのくせに馴れ馴れしく、
アタシをイヤなあだ名で呼ぶ。
あの子もウワサ話を知っているに違いない。

 

アタシは確実に重松にイラだっていた。

 

 

3.デート
―――――――――――――――――

 

「おはよう、まどちゃん。…出かけるの?」

 

日曜日。

 

普段の服装との違いに、
9時過ぎになって起きたサクラちゃんが気づいた。

 

家主は用意した朝食を無表情で黙って食べている。
今日のメニューはホットケーキ、生クリーム付き。

 

「デートだよ。このまえ言ったでしょ。」

 

「あー忘れてた! えーいいなー。
 私もまどちゃんとデートしたい。」

 

「時間のムダですよ、それ。」

 

「ひどっ。反抗期ぃ。」

 

「じゃあ、いってきます。
 たぶん夜までには帰ってくるから。」

 

「はーい、ってらっしゃーい。」

 

今日の服はちょっと高いものをそろえた。
でも下着はもっと高い。
土曜日1日分のバイト代がすっ飛ぶくらい。

 

相手は生徒会長だけど、知ってる人じゃない。
初対面であっても服装にはそれなりに気を使う。
これは祖母からの教訓。

 

気になっていた春物のアウターを買っておいた。
イカットのスニーカーとスキニーのパンツ、
インナーはストライプで胸元が出るVネック。

 

異性の性欲を喚起かんきさせる気はないけど、
自分が女だっていう自覚は大事だ。

 

それを相手がどう受けとめて、
どんな反応を返すかでアタシは評価する。

 

デートの日まで、会長とは
一度だけメッセージでやり取りをした。

 

『日曜日、駅前10時に集合。
 できれば歩きやすい格好で。』

 

と、業務連絡っぽい内容に、
肩透かしを食うメッセだった。

 

バイトをしていて会えない分、
相手から過度な要求をされたことが
過去に何度か経験がある。

 

「これから会えないか?」

 

「いまなにしてる?」

 

「バイト、サボれないの?」

 

初めてのときはこんなもんかと思ったけど、
付き合うことが面倒になる相手ばかり。

 

所有欲を満たすために相手をするほど暇じゃない。

 

結局すぐに別れ、別の男と交際を求められる。
求められること自体はイヤじゃない。

 

でも結果的に別れるために付き合うから、
悪いウワサが絶えない悪循環あくじゅんかん

 

それで、別のクラスの知りもしない女が、
勝手に恨みを募らせるもんだから嫌気がさす。

 

今日の相手がそうならないのを願うとしよう。

 

「なんかいるし…。」

 

建物の影に隠れてこちらの様子をのぞく
女を見てアタシはぼやいた。
あのシルエットは重松だ。

 

上下黒のスウェット姿。
出歩くには不審者同然の格好だった。

 

警察に通報した方がいいのか、
スマホを手にして悩んでいると
生徒会長がやってきた。

 

「おまたせ。で、いいのかな。」

 

彼は赤地のチェック柄をしたネルシャツに、
薄ベージュ色のチノクロス綾織り綿布のパンツと
学校指定の白のスニーカーを履いていた。

 

「…フォーマルですね。」

 

服装に無頓着むとんちゃくな高校生っぽい格式ばった服装に、
評価を自由に受け取れる言葉を送った。

 

「沢さんもちゃんと歩きやすい格好だね。
 学祭のときみたいにドレスで来るんじゃないかと
 内心ドキドキしてたよ。」

 

「そんな格好するわけないですよ。」

 

冗談のつもりかもしれないけれど、
なにを考えたらそんな発想に至るのか。

 

「事前に連絡した通り、
 今日はたぶんそこそこ歩くよ。
 疲れたら言ってね。」

 

「どこに行くんですか? 水族館とか?」

 

デートといえば遊園地、動物園、水族館など
古典的になりつつあるテーマパークに行くのが
定番で無難かもしれない。

 

けれども過剰な反応を求められて疲れる。
学校行事で散々行くような場所なのに。

 

気の許せる相手なら楽しめるかもだけど、
同じ年頃の異性からはほぼ決まって
女の子っぽさを期待される。だから疲れる。

 

美術館や映画なんかの静かでゆっくりできる
施設でもいいけど、趣味の一致が必要だし、
結局のところそれは相手の価値じゃない。

 

同好の士を探すだけなら、いまどきは
SNSでもやれば充分だと思う。

 

高校生で同伴出勤するようなキャバ嬢や、
トロフィーワイフになるつもりはない。

 

アタシは他者に見せつける飾りじゃないってこと。

 

会長の提案は、アタシの想像しないものだった。

 

「今日はランブリングをします。」

 

「ランブ…リング?」

 

「そう。知ってるかもしれないけど説明すると、
 ウォーキングの仲間なんだけど
 歩くことを目的とはせずに、趣味のために
 会話を楽しみながら歩く、散策かな。」

 

「趣味のために?」

 

「そう。趣味っていっても難しいよね。
 なのでちょっと趣向しゅこうを変えて、
 好きなものを探して歩くのはどうかなって。
 僕が探して見つけたら、次は天沢あまさわさんが。
 交互に好きなもの言い合うのがルール。」

 

「へぇ。それ面白そうですね。
 好きなものがなかったら負けとか?」

 

「勝敗とか罰ゲームとかはないよ。
 なんなら僕が好きな物だけで、
 1日付き合ってもらうつもりでもいるから。」

 

「欲張りですね。
 できる限りやってみます。」

 

他人の好きな物にどれほど興味が湧くか
分からなかったけど、そんなルールなら
相手に気を使う必要はなさそう。

 

「じゃあまず僕の番ね。」

 

会長は最近学んだ近代史の話をはじめ、
最初は近くの書店へと入った。

 

昔はよく戦国史を読んでたらしく、
アタシも祖父の影響で大河ドラマなどから
勉強をしていたので会話がはずんだ。

 

商品棚の影からアタシたちを見ている
重松が視界に入ったが、無視をした。

 

「じゃアタシの番か…。書店ここじゃダメです?」

 

「今日のデートの趣旨しゅしを決めたのは僕だから、
 行き先の候補はいくつも持ってるし
 僕のが有利になるよね。
 最初はそれでもいいけど。」

 

「それなら、別の場所行きます。」

 

「図書館とか?」

 

「会長はジョークが下手ですね。」

 

「手厳しいね、いまどきの若い子は。」

 

「アタシ祖父母に育てられたんで、
 それ言われるとアタシもいまどきの感性は
 持ってないかも。」

 

「学祭もレトロな選曲だったね。」

 

「おばあちゃんが歌手だったんです。」

 

「それはすごい。」

 

「カバーシングルを2枚しか
 出してないんですよ。」

 

「いくら身内の話だからって
 そんなに卑下ひげすることはないだろう。」

 

「…そうですね。」

 

アタシは古いレコードショップに会長を案内した。

 

店の奥の壁の片隅には、
サイン付きの色あせたポスターが貼られている。

 

「あれが祖母ちゃん。」

 

「『愛の讃歌さんか』だね。」

 

戦後間もない時代、フランスの女性歌手が
不倫しているプロボクサー相手に
別れを告げる為に送った歌。

 

その相手に送るよりも先に、
彼は飛行機事故で亡くなった。

 

天沢あまさわさんの歌が上手いのは
 おばあちゃんゆずりか。」

 

「去年の春に亡くなったんだけどね。
 なんか未練がましいって感じ…。」

 

いつかは訪れるはずだった祖父母との別れは、
突然の事故によってやってきた。

 

「そうか。でも亡くなったからって、
 好きでいたことには変わらないだろう。
 大切なものならなおさらだ。」

 

アタシはなにも言い返せない。
それから会長は念押しする。

 

「今日はそういう趣旨しゅしだからね。」

 

 

4.崩壊
――――――――――――――――――――

 

「ここから近いところだと、面白いのがあるね。」

 

誘われたのはゲームセンターの一角で、
体感アーケードと呼ばれるものだった。

 

HMD(ヘッドマウントディスプレイ)をかぶって
カートレースを楽しむもので、視界のすべてが
バーチャルの空間になって臨場感がすごい。

 

けれど運転免許もなければ、
アタシはカーレースにうといので
わけのわからないまま終わった。

 

右のペダルがアクセル、左のペダルがブレーキ。

 

両足で操作するより
右足だけで踏み変えるのが正しいのだと、
終わってから車の正しい運転方法を知った。

 

「こういうところにも来るんですね、会長も。」

 

「健全な社会学習だよ。」

 

日曜ということもあって、人が多く
音楽が常に鳴り響いて周囲は騒がしい。

 

耳と疲れた足を休めるために
次にアタシが案内したのは、
静かで雰囲気のよい西洋風の
小さな建物を改装したお店。

 

その『レストラン・ハルタ』に
着いたのは昼食に丁度いい時間。

 

「自動車の練習に丁度いいかも知れませんね。
 あのゲーム。」

 

「公道であんな走りされたらびっくりするよ。」

 

「会長でもゲームセンター行くんですね。
 自動車免許はいつ取るんですか?」

 

「受験終わったらかな。
 ゲームくらいなら家でやるよ。」

 

「あんな大きいの家にあるんですか?」

 

ゴーカートくらいの大きさがあるのに。

 

「まさか。
 さすがにカートまでは無理だよ。
 勉強の羽休めで、いとこと遊ぶときにね。」

 

会長は手元でなにやらプレイを再現する。
最初は車のハンドルかと思ったけど、
両手サイズのコントローラーだった。

 

「エモートとかあるから、
 お互い喋らなくてもできるし。」

 

エモーションemotiton?」

 

「そうそう。感情表現のことね。
 勝った嬉しい、負けた悔しい。って表情を
 ゲーム内のアバターが代わりにしてくれる。
 一種のコミュニケーションツールだね。
 言葉なんてなくても画面の向こうにいる、
 遠くの相手に伝わるって便利だよ。」

 

「ふふふ。なんか冗舌じょうぜつ過ぎて…ふふ。」

 

「君ぐらい表情の明暗はっきりしてると
 必要ないかもね。」

 

アタシはそれほど表情豊かではない
と思っていたので、変わった評価をする
会長の顔と改めて見比べてみた。

 

会長は気恥ずかしさに目をそらすと
丁度、注文の料理が到着した。

 

丸メガネをした店主のおじさんが、
私たちのテーブルに黙って料理を置く。
今日は接客態度が悪い。

 

ピーク帯に入り客席は埋まって、
フロアスタッフは忙しそうにしている。

 

アタシはキノコの、
会長はホタテのパスタを食べた。
母やサクラちゃん以外の人と食べるのは久々だ。

 

退店の際も愛想のないあの店主が会計に現れた。

 

誤解を招く前に、悪い店じゃないことを
会長に釈明するはめになった。

 

料理には満足してくれていた。
と、思う。

 

店を出ると空がどんよりと曇っている。

 

「なんだか降りそうだね。」

 

「しまった。傘忘れました。」

 

通学カバンには折りたたみ傘を入れているが、
外出用のショルダーバッグに入れ忘れていた。

 

アタシはアタシの間抜けさにあきれてしょげて、
会長のあとについてしばらく繁華街はんかがいを歩いた。

 

「僕は学生のうちに異性と付き合うなら、
 勉強や行事を一緒に楽しめる相手がいいな
 と思ってたんだが。」

 

「それなら同級生がいいんじゃないですか…。」

 

「…まあ、たしかにそうだね。
 天沢あまさわさんと話してみると、
 これは僕の一方的な見解だけれど
 案外馬が合うなと驚いてるんだ。
 とはいえ僕にも生徒会長って立場があるから。」

 

「大変そうですよね。しがらみ多そうで。
 変に悪いことできないし。」

 

こんなに出来た人間と付き合う女は
多方面から嫉妬しっとを浴びるマヌケか、
逆に付き合った女で身を滅ぼすマヌケくらい。

 

「やりがいはあるよ。推薦も狙えるし。
 天沢あまさわさんもクラス委員だろ?」

 

「立候補したわけじゃないから
 やりがいは感じませんけど。
 推薦はたしかに欲しいですけど…。」

 

新年度早々教師に歯向かうようなアタシの性格的に
たぶん推薦は貰えないだろうな、と諦めもある。

 

「クラス委員の天沢あまさわさんも、
 学校に言えないことのひとつやふたつ
 持っているんじゃないか?」

 

「ここって。」

 

繁華街はんかがいをひとつ奥に入ると
そこはホテルの通りだった。

 

石壁風の建物の入り口には、
休憩、宿泊、利用料金が書かれた看板が並ぶ。

 

雨が降ってきた。

 

天沢あまさわさんは、こういう場所に
 入ったことはあるかい?」

 

「なんのつもりですか。」

 

「学祭以降、君のウワサはよく耳にする。
 僕の見解としては男女の交際、
 たとえば痴情のもつれなんてのは、
 生徒個人の問題であって知らぬ存ぜぬを
 つらぬくつもりだったが、最近は
 生徒会にまで入ってくるようになってね。」

 

「アタシを騙したんだ。」

 

デートとあざむき、こんなところに誘って
会長はアタシを尋問じんもんする。

 

天沢あまさわさんからすればそう見えるのは
 僕としても心苦しいけれど、
 君個人の問題と無視もできない状況だから。」

 

「味方だと思ったのに…。」

 

思わずアタシはつぶやいた。

 

雨足が強くなる。
顔に当たる雨粒が痛い。

 

まつ毛に乗った雨粒のわずらわしさに
ガサツに手で拭った。

 

もううんざりだ、こんなの。

 

「うぁっ!」

 

突如、会長の背中から大きな生き物がぶつかった。

 

毛深い巨体のイノシシではなく、重松だった。

 

「ってぇ…、みぃ?」

 

「もー、バカぁ!」

 

「っえ? なに? ちょっ!」

 

重松は牛のように鳴いて
アタシの腕を引っ張って走る。

 

彼女の質量にあらがいきれずに引かれて
ホテル街を抜けて走り、住宅地に出る。

 

雨の中で、呼吸がしにくい。
コートが雨を吸って重たい。

 

「待って! なんなの、アンタ。はぁ…。」

 

「だって、泣いてたから。」

 

「泣いてないわよ。泣いてない。」

 

「ここ。」

 

「なに?」

 

住宅地の一軒家を指さした。
『重松』の表札は彼女の家を示していた。

 

「アンタん?」

 

うなずく重松は、玄関を開けて
無言でアタシを中へと誘った。

 

雨宿りついでと思い、
靴も脱がず玄関に立ち尽くす。

 

「これ、使って。」

 

タオルを持ってきてくれたが、
アタシの中で重松は不気味な存在になっている。
悪い言い方をすればストーカー。

 

「あの、ごめんなさい…。その。」

 

「アンタもタオル使ったら。
 濡れてる。」

 

「あ、うん。あの…お茶。」

 

「上がれって言う前に、
 なんでアンタはアタシをつけまわすのさ?」

 

「ママ…。」

 

「ママじゃない。」

 

重松は顔を真っ赤にして、
奥へ逃げてしまった。

 

そもそも重松がなんでアタシを
つけまわすのか分からない。

 

雨が上がったらさっさとおいとましよう。

 

ドアから漏れでる雨の音を聞きながら、
帰るタイミングを見計らった。

 

すると重松は本を持って戻ってきた。

 

「これ、見て、ここ。」

 

持ってきたのは卒業アルバムだった。
見開きにやや古めかしさを感じる
生徒の写真が並ぶ。

 

重松が太い指で示した箇所は、
門倉かどくら律子りつこ』という名前も知らない女生徒。

 

「え? アタシ?」

 

「似てる、でしょ。ママ。」

 

「なに?」

 

「このひと、私のママなの。」

 

「マっ?」

 

マジで?
いまの髪型や口元のほくろ、
まゆ毛やまつ毛、あごや頭の大きさ。

 

ひとつまみの写真をよく見れば、
写真の人物は少しずつ違って
加工されたみたいで違和感がある。

 

アタシの顔は重松の母親よりも祖母や、
残念ながら家主の母によく似ている。

 

それに父親は重松という姓でもない。

 

他人の空似が、こんな身近で、
まさかアタシ自身に起きるとは
思いもよらなかった。

 

「死んじゃったの。」

 

「なに? 突然…?」

 

「去年、列車事故で。」

 

去年の春先に起きた列車事故は、
乗客50名以上の死傷者をだした。

 

そこにアタシの祖父母も乗っていた。

 

「そう。」

 

だからと言って、この子を慰める気はないし、
遺族同士で傷を舐め合うつもりもない。

 

「あの、ちょっと見て、欲しいのがあって。」

 

「もうアンタのママの写真眺めるのはイヤだよ。」

 

「ちがくて。部屋に…。」

 

説明を待っていても無理っぽい。
これ見よがしにため息をついて靴を脱いだ。

 

5.エモート
――――――――――――――――――――

 

殺風景な部屋。それが第一印象。
折りたたみのベッドに小さな座卓。
それから衣装ケース。

 

壁際に机と無骨なデザインのパソコンと
カメラの付いた大きなモニタ。

 

壁と壁の間のカーテンレールほどの高さに
謎めいた黒色の物体がぶら下がっている。

 

立方体の…カメラではなさそう。

 

「マ…真円まどかちゃん。見て。」

 

パソコンを立ち上げて、ブラウザを開いた。
パソコン本体の隙間からLEDが部屋を彩る。

 

ブックマークから開かれたのは、
去年アタシが学祭で歌った
『愛の讃歌さんか』の動画だった。

 

青色のドレスに身をまとって、
スポットライトを浴びる。

 

「どうしたの、これが。」

 

「これ、私すっごい感動、で。
 練習したの。」

 

そういうと、大きく息を吸い込んで、
重松は『愛の讃歌さんか』を歌い始めた。

 

歌い出しはゆっくりと、
それから段々力強くなる。

 

喉を開いて、胸に空気をいっぱい入れる。
弦楽器の音に寄せ、声を揺らして伸ばす。
重松の声質はこの歌によく合っていた。

 

曲は高い音程から低い音程へと下降する。

 

元のフランス歌謡シャンソンは途中で
低い音程のまま覚悟を語るように歌う。

 

これは別れを告げる歌。

 

――私がどれほど愛していたか。

 

全てを投げ出し、全てを捨てて、
他者に笑われようと、なんでもする。

 

あなたが死んで、遠くへいなくなっても、
あなたからの愛があれば、気にしない。

 

そして私の死によって、
あなたと永遠の時間を得られる。
青空の中で、お互いに愛し合っている。

 

神様が愛し合う者を結びつける――。

 

飛行機事故で亡くなった相手へ送った、
哀悼あいとうの歌とも言われている理由。

 

永遠の別れの歌に
重松の歌声が染み入り、
アタシは自然と涙がこぼれた。

 

首にかけたタオルで顔をおおう。
祖母の歌。自分で歌った歌なのに。

 

重松の歌声を聞いて、
祖父母のことを思い出し、
アタシは酷い孤独感に支配された。

 

「ごめん。なんか。」

 

情けないほど涙が出て、
鼻をすすった。

 

「もう一曲、あるの。準備するから。」

 

「あれ?」

 

「です。」

 

そう言って、衣装ケースからなにやら
機械を取り出して両の手足に取り付けた。

 

それから頭には見覚えのある機器。
昼前に会長とカーレースで被ったHMDだった。

 

「これ、パソコン、見てて。」

 

映し出されたモニタ画面は
アニメチックなオレンジ髪の美少女で、
ゆらゆらと不思議な動きをしている。

 

するとバスドラムとスネアが軽快に叩かれる。
前奏が始まった。

 

ばら色の人生ラヴィアンローズ

 

学祭でアタシが歌ったもう一曲。

 

――愛しい男に抱かれ、
私に愛の言葉を語れば、愛が心に溶け込んだ。

 

無限と思える愛の夜。

 

悩みや悲しみは消え、幸福に満たされる。

 

あなたは私に優しく語りかける。

 

あなたを見つめると、
心臓の鼓動を感じる――。

 

いかにも思春期の生徒を
ドキリとさせるにピッタリの曲。

 

ドラム、ギター、ベースの3人に
挟まれる形で歌ったのを思い出す。

 

3人とも付き合い、
趣味が合わずに3人ともすぐに別れた。

 

「え? なに? どうやってんの?」

 

画面と重松を交互に見る。

 

画面の中のオレンジ髪の美少女は、
重松の動きに合わせて歌っている。

 

甘い声で歌って踊る丸くて太い重松は、
HMDを被っててなんだか不格好だけど、
画面の美少女はまともに踊っている。

 

重松が歌い終えて、
アタシは関心を持って拍手した。

 

「すごいバーチャルじゃん。」

 

「うん。そんな、感じ。」

 

「これも重松の?」

 

「うん。しおちゃんが、やってくれた。」

 

「しおちゃん? 誰?」

 

「あ、親戚、の。」

 

「そう。」

 

学校の友達あたりだと想像したが、
この子が友達らしき人物と
一緒にいる姿は見たことはない。

 

アタシも同じようなもんだけど。

 

「将来、歌を仕事に、したいなって、
 昔から思ってて。」

 

とぎれとぎれの喋りはともかく、
こうやってアバターを使えば、
容姿のコンプレックスもクリアできるのか。

 

「いいじゃん、それ。」

 

「えっ! ホント?」

 

「面白そうだと思うよ。無責任に言った。
 やってることは正直よく分かんない。
 歌手なんて大変だろうから、
 オススメしないけどね。」

 

真円まどかちゃん、は? 歌。」

 

「アタシはいーよ。歌は。
 おばあちゃんからの趣味だし。」

 

「おばあちゃん。」

 

「いまはさー、ずっと別居してた
 母親と暮らしてて、すごい気まずいんだよ。
 居候いそうろうってやつで。」

 

「お父さんは?」

 

「生まれたときからいない。」

 

「そ、なんだ。」

 

「結婚もしてないし。」

 

たぶんしてない。
サクラちゃん情報。

 

「マ、真円まどかちゃん、学祭で見たとき、
 ママが歌ってる、って思ったの。
 私、こんなだから。うまく、言えなくて、
 2年になって、同じクラスで、
 真円まどかちゃんと友達に、なれ、
 なりたい。です。」

 

肉付きのいい手が私の手をつかむ。
アタシはといえば反射で手を振り払った。

 

「アンタがなりたいからって、
 アタシがはい、なります。ってなると思う?」

 

「あ…、う…。」

 

「クラス委員で立候補したのもそうだけど、
 自分の実力に見合った行動をすべきだって。」

 

「はい…。」

 

アタシが強く言い過ぎているのか、
重松は涙目をこらえている。

 

「歌の努力はまぁ、ホントにすごいよ。
 でもそのコミュりょくはお世辞にも
 クラス委員が務まるレベルじゃない。」

 

進路調査票をまだ書いてない、
委員長のアタシが言えた立場じゃないけどね。

 

「副委員の基本は補佐ほさ役で、あくまで代理。
 先生と生徒、部長と部員とかじゃないの。
 アタシいなかったら、アンタひとりで
 クラスの全員に指示出せる?」

 

「う…。」

 

「できないよね。返事は?」

 

「…はい。」

 

「副委員をやることと
 アタシと友達になるって、
 イコールじゃないんだよ。」

 

「そう…です、はい。」

 

この子は目的と手段をごちゃ混ぜにしている。

 

「雨やんだから、もう帰るよ。
 タオルありがとね。」

 

「あしたっ…。」

 

「…あぁ。そうだね。」

 

一瞬なんの話か分からなかったが、
すぐに思い出した。明日は大切な日だ。

 

6.ふたり並んで
――――――――――――――――――――

 

翌、月曜日。天気は雨。
気分は土砂降り。

 

サクラちゃんが運転する車の後部座席に
アタシは座って、外の景色を眺める。

 

車は学校じゃなくて市民会館に向かっている。

 

車内は花の匂いに満たされて、
気だるさが少し落ち着く。

 

家主は助手席。

 

アタシはピンク色のカーネーションを、
家主は黄色と白色の菊の花を持っている。

 

いつもおしゃべりなサクラちゃんも、
今日に限っては口数が少ない。

 

私はいつもの制服で、
家主は喪服もふく

 

祖父母を襲った列車事故から1年が経った。
アタシと家主は追悼ついとう式に出席する。

 

サクラちゃんが運転手を買って出た。

 

両親同然だった祖父母との別れは突然訪れた。
同じく家主も両親を亡くしている。

 

アタシと母ではまるで別だと思う。
母はずっと自由奔放に生きてきた。

 

だからいたむ気持ちを共有する気にはならない。

 

市長の式辞しきじがあり、黙祷もくとうささげ、献花けんかをする。
重松と彼女の父親らしき姿もあった。

 

色んな人が出席した。
生徒会長と彼の家族もいた。
中学時代のクラスメイトも事故に遭った。
松葉杖や車椅子姿の障害を抱えた人もいる。

 

遠くではたぶん事故の関係者が、
マスコミに囲まれている。

 

事故の当日はよく覚えていない。
学校から帰って、食事の準備をしていた。

 

母が血相を変えて家にやってきて、
アタシを怒鳴りつけて車に押し込んだ。

 

あとは病院の廊下でずっと座っていた気がする。

 

母が隣に座って、震える手で
アタシの手を強く握っていた気がする。

 

退屈たいくつ極まりない式の中で、
母が大きなあくびをした。
そのせいでアタシもあくびが出た。

 

横目で母がアタシを見てきた。
アタシも母のせいだと言わんばかりに見た。

 

母が照れくさそうに微笑んだので、
アタシは目をそらした。

 

アタシたちは嫌なくらいよく似ている。

 

「進路希望。」

 

「なに?」

 

「あたしが15で妊娠したとき。
 ママが、真円まどかのお祖母ばあちゃんが、
 学生なんだからやることはやりなさい、
 あとは自分の責任で好きにしなさいって。」

 

「なにそれ。」

 

好きにした結果、アタシはこの人に捨てられた。

 

「でしょ?
 自分の軽率けいそつな行動が引き起こした結果だけど、
 お腹に真円まどかを入れてたときに、
 あぁ責任って重いんだなって思ったの。」

 

そう言われて15歳で妊娠した母の気持ちを考えた。

 

当然、周囲の無関係なひとから、
自己責任と責められただろう。

 

15歳で妊娠した自分たちの娘を見た祖父母は、
たぶん唯一の味方だった。

 

祖父母は母がこれから生きていくために、
責任を負う立場になることを教え、支えた。

 

母の分の責任を一緒に負ったのが祖父母だった。

 

「大学へ行きたいなら行っていい。
 真円まどかの家賃が足しになるから、
 公立くらいなら通わせられる。」

 

「え? 家賃? なにそれ。」

 

アタシから徴収ちょうしゅうしていたはずの家賃は、
将来の学費として貯金をしていた。

 

「サクラから聞いてなかった?」

 

アタシは首を横に振った。
そんな話は聞いてない。

 

「あの子、口軽いから酔った拍子に
 べらべら喋ってんだと思ったわ。
 サクラの家賃も独立させるための、
 開業資金で預かってんのよ。」

 

「知らなかった。」

 

去年の家賃72万円の行方。
サクラちゃんは母からも信用ないっぽい。
サクラちゃん、金遣い荒そうだからかな。

 

居候いそうろうのサクラちゃんも当然、
いつかはいなくなるんだと思うとさびしくなった。

 

「あ、ただしひとり暮らしするなら、
 家賃は自分で工面くめんしてよね。
 サクラにも頼っちゃダメだよ。」

 

「…わかった。」

 

「別によそでセックスしても、
 まぁ妊娠しても、勉強だけはちゃんとしなよ。
 学校やめる口実にしないで。」

 

「わかったってば! …反面教師。」

 

「…この反抗期。」

 

アタシが黙ったので、母もなにも言わなくなった。
母とこんなに喋ったのは初めてな気がする。

 

親も子供は選べない。

 

――――――――――――――――――――

 

追悼ついとう式は昼には終わる。

 

アタシと母はマスコミを追っ払い、
市民会館から駐車場の雨の中走って
サクラちゃんの車に逃げ込んだ。

 

逃げるときに母が笑っていたので、
録画されていてもきっと使えないやつだ。

 

「お待たせー。」

 

「お疲れ様です。
 お昼、どうします?
 一旦帰ります?」

 

「冷蔵庫にご飯ないよ。
 夕方バイトだから、帰りに買う予定だったし。」

 

「んじゃどっか食べ行くか。」

 

「ご馳走ちそうになります。」

 

「サクラも食べてないの?
 じゃあどっか店の候補。」

 

「便利な検索機能じゃないんですよ。
 ならハルタはどうです?」

 

「えー? アイツんとこ?」

 

「アタシ、昨日行ったよ。」

 

「は? まさかデートで?」

 

母はちゃっかりアタシの予定を把握している。

 

「やっかまないでよ。
 自分もデートくらいしたら?」

 

「なんなの? ほんと反抗期なの。」

 

「なんでそんなことでケンカするんですか。」

 

「ヤな顔してたよ。春田はるたさん。」

 

無言でテーブルに料理を運んだ
『レストラン・ハルタ』の店主、春田さん。

 

「そりゃぁ、そうでしょ。彼氏連れなんて。」

 

「あのひとさ、責任取らせてくれって、
 夜、スーパーで会う度に聞かれるんだけど。」

 

「なんですかその情報。
 まどちゃんの交友関係どうなってんの?
 社長、知ってました?」

 

「サクラ、うるさい。」

 

「えー…すみません…。」

 

「お互い自業自得なんだから、
 いまさら責任とか関係ないって
 あいつには伝えてあるし。
 あとウザいって。」

 

「たしかにウザい。」

 

「今度、真円まどかに会ったら
 ウチの店出禁にするっておどしといて。」

 

りょ。」

 

アタシはうなずいた。
店主の春田ハルタさんは、たぶんアタシの実の父親だ。

 

あれで母とも年齢が同じだったりする。

 

後部座席から見えた母の顔は、
満足しているように思えた。

 

「それでお昼どうするんですか。
 店閉まっちゃいますよ。」

 

真円まどか、2日連続だけど?」

 

「出禁の店?」

 

「そう。出禁の店。」

 

りょ
 なんなら春田ハルタさんにおごらせようよ。」

 

「アハハ、それ酷くない?」

 

「この子、お祖母ちゃんに似たのよ。」

 

ウソつけ。

 

7.絡まる
――――――――――――――――――――

 

「進路調査票は今日中に、
 副委員の重松さんまで提出して。」

 

朝のホームルームで委員長のアタシが、
教壇からクラスの全員に呼びかけた。

 

隣の重松は今日も変わらずお地蔵さん。

 

「はぁー?」

 

「聞いてねー。」

 

予想通り、生徒からは
不測の事態に不満が噴出ふんしゅつした。

 

「いま言ったから!
 未定なら未定で提出しても構わないけど、
 個別に指導を受けるからそのつもりでね。」

 

「ママー!
 将来ママは、風俗に入りますか?」

 

「キャハハハハ!」

 

女子の誰かの質問で、多くの生徒が爆笑した。

 

「は?」

 

からかわれていることが分かって、
アタシはいらだちをあらわにした。

 

けれどアタシの怒りはすぐに驚きで吹っ飛んだ。

 

破裂音と共に教卓を叩いたのは、
アタシの隣で地蔵になっていた重松だった。

 

美「真円まどかちゃん! の、悪口言ったり、
 悪口で笑ったり、しないで、くださぁい!」

 

顔を真っ赤にして興奮する重松だが、
そんな彼女の行動にもあざける一部の女子たち。

 

一度定まった評価は簡単にはくつがえらない。

 

「はい、静粛にー。
 重松さんをあまり怒らせないでください。
 日曜にラブホで生徒会長を押し倒した子です。
 ぶっ飛ばされたくなかったら黙っててね。
 真偽のほどは生徒会長に直接、
 尋ねてもらってかまわないから。」

 

ラブホテルの前で彼女が生徒会長を
押し倒したという情報は事実だ。

 

真実を断片的に与えて追い打ちをかける。

 

天沢あまさわぁッ!」

 

不穏当な発言に先生からたしなめられた。

 

「はーい。進路指導の先生からこれ以上、
 ウチの担任の顔を潰さないであげてください。
 クラス委員からは以上です。」

 

この担任教師が仕事をしてくれれば、
アタシはこんな面倒言わずに済む。

 

アタシが生徒会長から告白され、
デートをしたことを知らない生徒はいない。

 

いつまで経っても静まることなく、
騒然とする生徒を教壇から眺めるのは楽しい。

 

「じゃあ、提出期限は守ってね。」

 

注目を浴びる重松が恥ずかしがって
アタシの手を強く握ってくるので、
強く握り返してやった。

 

痛いんだよ!

 

――――――――――――――――――――

 

天沢あまさわさん。
 なんで僕がここに呼び出したか分かる?」

 

昼休みに直前に会長からメッセが飛んできた。

 

「日曜セックスしそこねたので、
 続きを生徒会室で――。」

 

「違う! 断じて違う!」

 

昼休みに生徒会室に呼び出されたアタシは、
生徒会長から叱責しっせきを受ける。

 

アタシはアタシで気にせず弁当を広げた。
雨の日に非常階段で食べるよりはマシかも。

 

「そんな怒鳴らないでください。」

 

「いや、怒って呼び出したわけじゃないが。
 日曜のことで、ひとこと謝りたくて。」

 

「謝る?」

 

「そもそも去年の学祭で、無理を言って
 1年生に出し物をお願いしたのは僕なんだ。」

 

「会長が? 去年…?」

 

なぜ突然そんな話をし始めたのか、
アタシは首をかしげる

 

「いや、2年のときは副会長だったけど、
 1年生からの出し物が舞台にないって
 先生方に指摘されてお願いに回ったのが僕だ。」

 

「あぁ、そうだったんですか。」

 

名前と顔をまったく覚えていないので、
先週告白を受けたときには、去年の秋の頃の
副会長などまったく分からなかった。

 

「アタシも舞台で歌ったのは、
 中2のとき以来だったから
 けっこー楽しかったですよ。」

 

「学祭の舞台を機に悪目立ちをして
 しまったんだろう。君は。」

 

「それはアタシの自業自得ってやつで、
 無関係な会長に謝られてもウザいだけです。」

 

「ウザい…。」

 

弁当は昨日、晩ご飯にしたキスの天ぷらを
南蛮漬なんばんづけ風にした。出来は上々だ。

 

ちょっと油が多めだったのは気になる。

 

「いや、前にも言ったが実際、
 君のウワサ話の真偽を確かめないことには、
 生徒指導にもならないんだよ。」

 

「生徒会長はウソついてまで、
 アタシにお節介せっかいをしに来たわけだ。」

 

「だからそのことを謝りたいんだ。
 そしてもっとひどいウワサが、
 今朝になって僕のとこにまで広まってるんだ。
 どういうことなんだ?
 ホテルで、僕が押し倒されたって。」

 

「それはウワサではなく、誤解ですよ。
 素敵な後輩たちに恵まれましたね。
 悪事千里あくじせんりです。」

 

「誤認させたのはどうあっても君だろ。」

 

「そうかもしれませんね。」

 

会長のわななく姿に、
アタシの意図いとが伝わったので笑えた。

 

誤解から生じたウワサ話は、
どんなに訂正したって
修正されることはない。

 

足掻あがくほどに埋もれるアリジゴク。
火に油を注ぐ行為にひとしいので、
自然に忘れ去られるのを待った方が早い。

 

「まあ、あれは従妹いとこのやったことだから、
 誤解させた僕が目をつぶるしかないが。」

 

「いとこ? って?」

 

生徒会室の扉がノックされ、
返事も待たずに女生徒が入室した。

 

重松だった。

 

「しおちゃん! あ、真円まどかちゃんも。」

 

「しおちゃん…?」

 

聞き覚えのある名前。
たしか、重松の部屋で。

 

「みーは、重松さんは僕の父の妹の子供だよ。」

 

「は? あっ!」

 

重松にバーチャルな美少女を用意した
親戚の『しおちゃん』。その会長が、
勉強の羽休みでゲームを一緒に遊ぶ『いとこ』。

 

それに会長の本名が『門倉かどくら史雄ふみお』で、
アルバムで見た重松のお母さんと同姓だった。

 

突然、目の前の点と点が一本の線でつながった。

 

「しおちゃん、大変。変なウワサ。」

 

「その話をいま、天沢あまさわさんとしてたとこだよ。」

 

「なんでみーが、しおちゃんとなんか。」

 

「なんかとはなんだ!
 僕にだって選ぶ権利ぐらいある。」

 

「だってしおちゃん、
 真円まどかちゃん好きなんじゃないの?」

 

「そういうの言うなよっ! 本人の前で!」

 

会長の声がなさけないほど裏返って、
アタシは笑いが込み上げてきた。

 

目的と手段をごちゃ混ぜにした
似た者同士のふたりを見て、
こらえきれずに腹を抱えて笑った。

 

今日のアタシ、気分は快晴。

 

 

(了)


――――――――――――――――――――

 

参照:
エディット・ピアフ Edith Piaf (仏:1915-1963)
・La vie en rose (1946) 邦題:ばら色の人生
・Hymne a l'amour (1949) 邦題:愛の讃歌