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僕と彼女の優先順位

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僕と彼女の優先順位 ©2021-2022 UTF.

あらすじ

「いま誰かとお付き合いしてますか?」

 

1年前に故郷の両親が亡くなって、

僕は離島にあるマンションの管理人になった。

 

管理人室に忍び込んだマンションの住人は、

青色の髪をしたえくぼの眩しい女の子。

 

好意を示す彼女に僕は戸惑うばかり。

 

彼女から近隣トラブルで相談をされたのが

きっかけで、僕は事件に巻き込まれる。

 

※本作はフィクションです。

 実在の人物や事件・企業・地域、および

 機械語などとは一切関係ありません。

 

――――――――――――――――――――

他サイトでも重複掲載。

https://shimonomori.art.blog/2021/07/23/priority/

 

文字数:約10,000字(目安10~15分)

 

※読了目安は気にせず、まったりお読みください。

 

※本作は横書き基準です。

 1行23文字程度で改行しています。

 

初出:2021/07/23

 

 

僕と彼女の優先順位

 

前編:冬の気配
――――――――――――――――――――

 

12月に入り、島の風は冬の気配を感じさせる。

 

自動車を降りた時、
丁度電話がかかってきた。

 

駐車場にいた中学生くらいの短髪の女の子が、
僕の真っ赤な髪を見るとギョッとして走り去った。

 

…失礼な子だ。

 

180cmセンチ近い頭頂をいて、
相手を確認してから電話に出る。

 

電話の相手は島の賃貸ちんたい仲介ちゅうかい会社で、
内容は物件の下見希望だった。

 

いつもどおり
「お世話様です。」「わかりました。」
と、業務的な会話で終わる。

 

ついでにどんな感じの人かたずねたが、
仲介業者は歯切れの悪い返事をした。
いい予感はしない。

 

怪しい自営業や無職ではないことを祈ろう。
このご時世なので仕方がないのかもしれない。

 

今の時期なら下見だけだろうか、
運がよければ年明けには契約か。

 

僕は期待に少しだけ胸をふくらませる。

 

ハッチバックを開けてラゲッジから、
25本もある直管蛍光灯を引きずり出す。

 

大きくて持ちにくい上に、
割れやすいので慎重しんちょうに両腕に抱える。

 

こんな大きな荷物を持てたところで、
長身でよかったと思ったことはあまりない。

 

駐車場から24時間経営ではない
コンビニ横の自動ドアが、
マンションの入り口となっている。

 

6階建て築3年30戸の小規模マンション。

 

『マンション早乙女さおとめ

 

僕がここの管理人になって、
もうすぐ1年が経とうとしていた。

 

元は両親が不動産屋にだまされるような形で
昭和の頃から続いた大きすぎる生家せいかを売って、
近くの田舎に不釣り合いなマンションを建てた。

 

両親ふたりで管理していたマンションだったが、
流行り病が原因でふたりとも他界してしまい
急遽きゅうきょ、子どもの僕が管理をぐことにした。

 

理由をつけて会社を辞めたまではよかったが、
月々のローンの返済と相続税が僕の首を締めた。

 

僕は人口10万人程度の離島に
10年ぶりに帰ってきた。

 

東京から遠く離れたこの島には、
田んぼと漁港がある。…くらいしかない。

 

少子高齢化から離農が増えた影響で、
住んでいた学生時代よりも住宅が増えた気はする。

 

僕のように東京から帰ってくる人は稀で、
島外からの移住希望者はもっと稀になる。

 

島には地下鉄どころか電車も走っていない。
生活インフラも整っているとは言えない。

 

車やバイクでの移動手段が必要とされるけど、
移動したところで遊べるところはあまりない。

 

ゴルフかカラオケか…あとはスナックとか…?
海水浴場や市民プールもあるけど、
イベントは…市民会館のもよおしくらいか。

 

昭和や平成初期の時代を感じさせる
風景が島には色濃く残っていて、
ノスタルジーを覚えにくる人もいる。

 

都会から来た人はまず信号機の少なさに驚く。

 

島に遊びにくるだけであれば、
観光客向けのホテルや民宿がたくさんある。

 

『ラブ』の方は都会でよく見かける
ライトアップされた建物とは違って、
とても分かりにくくなっている。

 

離島という限られた狭い土地では、
人間関係が把握はあくされやすい為に
目立たなくしているのかもしれない。

 

夏は長く、強い日差しと湿気で余計に暑く感じる。
虫が多くて、さらに夜はカエルがうるさい。

 

雨の日の田んぼ近くの道路は、
カエルの死骸しがいで白く染まっている。
そして台風が多く、とにかく蒸し暑い。

 

それとコウモリを多く見かけた。
子どもの頃はそんなに見なかった気がする。

 

そんな島でも、冬のいまならいくらかマシだ。

 

だけど都会から越してきた人の中には
磯臭いそくさいと訴える人もいる。

 

漁港が近くにあるのだから当然、
旅館などに海産物を運ぶ車が多い。

 

山奥の家にでも行かないかぎりはきっと、
この小さな島では無理な話だ。

 

外食の選択肢が少なく、24時間営業の店はない。

 

そしてなにより離島は物価が高く、品ぞろえが悪い。
通販で注文した荷物もすぐには届かない。
その上、別途送料がかかる。ネットは遅延ラグがある。
越してきたけど仕事はない、などなど。
デメリットは枚挙まいきょにいとまがない。

 

マンションはフェリー乗り場から車で5分、
空港からは10分程度のところにある。

 

立地はそれほど悪くはないけれど、
上記の理由で長期にわたる住人は、
島で働く成人か超インドア体質の人くらい。

 

ウチはオートロックに防犯カメラ設置で、
ペットも飼えるので女性向けをうたっている。

 

しかしながら全体の入居率は7割を切り、
家賃収入はローンのリレー返済で吹き飛んで
管理費とわずかな生活費が毎月赤字をはじき出す。

 

――――――――――――――――――――

 

蛍光灯の切れかけた集合ポストを通り過ぎ、
オートロックの入り口を解錠かいじょうする。

 

蛍光灯が入るくらいの大きな宅配ボックス
設置してあるが、僕は島の電気屋さんに注文した
蛍光灯をわざわざ引き取りに行った。

 

築3年で25本も必要とは思わなかったけど、
安く買えるのなら買っておかない手はない。
送料も軽視はできない。

 

住戸じゅうこに繋がる階段とエレベーターの反対側が、
管理人の僕の使うコンシェルジュルームになる。

 

ルームという名前だけど、
縦2じょうほどの細いスペース。

 

冷蔵庫とトイレが備わっていて、
それから私用にWi-Fiワイファイルーターを置いた。

 

奥にはちゃっかり休憩室があり、
4畳半の座敷に掘り炬燵こたつとテレビが置かれている。
前管理者たちの趣味の賜物たまものだ。ありがたい。

 

コンシェルジュルームのスイングドアを開けると、
小さな隙間に水色の髪の女の子が隠れるように
座っていた。

 

「あの…。なにやってるんですか?」

 

床に座ってノートパソコンを見つめていた。
僕を見上げて目を輝かせ、笑顔を見せる。

 

えくぼのまぶしい女の子。

 

透明度のある涼しげな色の髪は
肩のあたりでふたつにまとめられているが、
床につくほど長い。

 

「こんにちは。」

 

「あ、こんにちは。
 …いや、じゃなくて。」

 

男鹿おが千秋ちあきです。606号の。」

 

先月東京から季節外れの転居をした住人だ。

 

僕よりふたつ年下で、入居の際に
一度だけ挨拶をかわしたのを思い出した。

 

男鹿おがさん。ここは管理人の場所なんで、
 自分の部屋に戻ってください。
 それと、なにかご用ですか?」

 

名前を呼んだ途端、彼女はそっぽを向いて
ひざ上のパソコンに向かって黙ってキーを叩く。

 

リボンとフリルの多い可愛らしい服装に、
高速タイピングが似合わない。

 

男鹿おがさん? あの…。」

 

「千秋です。千秋ちゃんって呼んで下さい。」

 

「え? なんで?」

 

男鹿おがさんは再び黙ってしまった。

 

「千秋…さん。」

 

露骨ろこつにため息をつかれる。
まるで及第点きゅうだいてんだと言わんかのように。

 

「私、真澄ますみちゃんとお話したくって。」

 

真澄ちゃんて…。

 

突然のタメぐちに、僕は目を点にした。
それからこの女の子に対し、僕もため息をついた。

 

早乙女さおとめです。」

 

「名字なんてマンション名と一緒で
 ややこしくないですか。」

 

「ややこしくはないでしょ。
 てか、なんで下の名前知ってるの?」

 

「どーしてって…契約書?」

 

少し考えて疑問形で返された。
流し目でイタズラっぽい顔になった。

 

「真澄ちゃん。」

 

千秋さんは猫なで声を奏で、語尾には
ハートマークでも付けてそうな呼び方をする。

 

「ちゃん付けするのはちょっと…。」

 

「えーそれなら真澄くん? 真澄さん?
 真澄先輩、真澄様? すみすみぃ?」

 

「…さん付けで。一応僕のが年上なんで。」

 

「わかりました!」

 

僕よりも若い女の子の考えや扱いなんて、
まったく分からない。

 

駐車場の女の子みたいに怯えられるならまだしも、
これほどグイグイくる女の子の距離感は
されてみると恐怖に近いものがある。

 

「背が高くてカッコいいですね。真澄さん。」

 

「…用はなんですか?」

 

「いま特定の誰かとお付き合いしてますか?」

 

ゾッとした。
ほぼ初対面の女の子に
言われて嬉しい言葉じゃない。

 

「私なんてどうですか?」

 

両手でみずからのえくぼを指差す。

 

「…千秋さん、お仕事は?」

 

「話、ごまかさないで下さい。」

 

「いきなりそんな質問されて、
 フツー答えるわけないって。
 どこで働いてるんだっけ?」

 

「えーっと…アスタロト?」

 

「え…超大手だ。」

 

アスタロトは国内で有名なIT販売会社ベンダーで、
メガバンクに使われている情報システムの
上流工程の大半を担っている。

 

去年まで僕が働いていたゴートはといえば、
発注元のアスタロトから
レオナールという元請けの会社を経由した、
下流工程を担当する下請けの会社だった。

 

こんな女の子がアスタロトにいたと知れば、
僕は劣等れっとう感を覚えずにはいられない。

 

「なんでこんな島に?」

 

「東京がいま、色々と物騒なのご存知ですよね。
 都内で暴動ぼうどう略奪りゃくだつ事件が頻発ひんぱつしたり
 街中にブタがあふれて人を襲うとか、
 その影響で変な病気が流行ったりして、
 いまでも通勤自粛じしゅくが続いてます。
 最近も不正出金事件がありましたし、
 会社も大混乱。」

 

千秋の挙げた理由で移住希望者もいる。
いわゆる疎開そかいというやつだ。

 

動物愛護を掲げた暴動と略奪が都内の各地で起き、
暴動にまぎれて大量のブタが街中にあふれ、
新種の病気が蔓延まんえんして両親が罹患りかんした。

 

けれどもこんな離島に移り住むまでもない事件で、
彼女のような移住者はまれといえる。

 

「で、私もしれっと故郷に退散したわけです。
 自主的リモートワークです。」

 

アスタロトなら、オンライン会議とか?」

 

「いいえ、本業はプログラマーです。
 真澄さんもプラグラミングできますよね?」

 

「どうして知ってるの?」

 

「さて、なぜでしょうか。」

 

僕がプログラミングを学んだのは中学生からだ。

 

中学に入学して間もなく、
部活見学のときに僕の将来が決まった。

 

その頃から僕は背が高くて『でくの坊』や
『ウドの大木』と揶揄やゆされた通り、
運動神経はからきしで文化部以外選択はなかった。

 

金髪美人のエナ先輩がプログラミングをする姿に、
一目惚ひとめぼれした青い時代があった。

 

輝くような金色の長髪に、ピンと伸びた背筋。
別世界から来た人なんじゃないかと思った。

 

そんな田舎のコンピュータ部では
最初にBASICベーシックを習い、老顧問ろうこもんとエナ先輩からは
なぜかCOBOLコボルを教わった。

 

COBOLは中学生程度の英語が理解できれば
それなりに組める機械語だったけれど、
下手に組めば冗長じょうちょう化しやすくて、
自分だけならまだしも他人が解読困難な
いわゆるスパゲッティコードになりやすい。

 

それになによりレガシーな言語だった。
COBOLの誕生は僕の生まれる半世紀も前だ。

 

機械語としての登場が早かったこともあり、
ゲームなどに使われるC言語やJavaジャバに比べ、
利用先は金融や行政なんかに限られている。

 

ネットからコードを拾い集められる
便利な時代だけれども、
エナ先輩はちゃんとプログラムを
論理的に自ら組み立てていた。

 

エナ先輩の指導はとても丁寧で、
細い指が打つコードは美しかった。

 

おっちょこちょいでだらしないところは、
ギャップがあってとても可愛らしい。

 

僕の赤い髪や長身を褒めてくれたのも、
コンピュータ部では彼女と
あとに入った後輩くらいだった。

 

エナ先輩は東京へ進学し、
高校は離れ離れになった。

 

島にある高校の授業で学んだのは、
HTMLやVisual Basicだった。

 

ウェブブラウザ上で文字を装飾するだけの
HTMLは機械語と呼べるのかはなはだしく疑問だ。

 

それでも高校でプログラミングの勉強を続け、
卒業後は身ひとつで上京してゴートに就職した。

 

中学時代に習ったCOBOLが就職の役に立ったが、
東京に移り住んだところで
エナ先輩に会えはしなかった。

 

それからほぼ10年間は仕事漬けだった。

 

両親に言われて結婚も考えていたが、
そんな機会は訪れずいまに至る。

 

当時はまだ、結婚よりも仕事のが
大事だったのかもしれない。

 

退職してから思ったのだけど、
安い給料で働き続けるよりも
実績を作って転職すべきだったってことだ。

 

なぜその考えに至らなかったのかと言えば、
「高卒のお前を雇う会社なんて他にないぞ!」
という呪詛パワハラを浴び続けたせいだ。

 

「真澄さんの前いた会社って、
 ゴートですよね?」

 

「僕のこと、どこまで調べたの?」

 

「オーナーですし、入居前に軽く調べました。
 レオナールの加賀かがさんって知ってます?」

 

「…知ってる。ゴートにいた頃は、
 仕事を依頼されたこともあるよ。」

 

得体の知れない彼女に
あまり僕のことを探られても困るので、
あえてはぐらかす言い方をした。

 

アスタロトから発注された仕事は、
レオナールの加賀という男によって振り分けられ、
下請けの僕が一部のプログラミングを担当する。

 

力関係では僕のいたゴートという会社は一番弱い。
加賀からの嫌がらせハラスメント日常茶飯事にちじょうさはんじ
仕様にないわがまま放題の要求も多かった。

 

そんな加藤は僕が会社を辞めたあとでも、
毎日のように電話を掛けてきた時期があった。

 

「やっぱり。悪名名高いですからね。あの人。」

 

千秋はモニタに視線を移して残念がった。

 

「なにか困ったことがあったら、
 なんでも言ってくださいね。」

 

「そう…。それなら…、
 早くここを出てって欲しいくらいかな。」

 

コンシェルジュルームの入り口に、
立て掛けたままの蛍光灯を軽く手で叩いた。

 

 

後編:冬の陽気
――――――――――――――――――――

 

「待ってください。
 今日はそれで真澄さんにお願いがあって。」

 

「お願い? 僕に? 廊下の蛍光灯?」

 

脚立きゃたつを肩にかけて
蛍光灯を1本引っ張り出した。

 

「違います。
 ちょっと異臭が気になって。」

 

「そんなの管理会社に連絡すれば?」

 

極めて事務的に、冷たくあしらう。
住人同士のトラブルなんて僕は御免ごめんこうむる。

 

しかし住人同士が勝手にケンカして、
警察沙汰ざたにでもなったらもっと困るのは僕だ。

 

「管理会社で対応できるかどうか…。
 404号室の。」

 

「404? 606号でしょ、千秋さん。」

 

隣接する部屋ならまだしも、
2階も離れた遠くの部屋だ。

 

「例えばベランダにゴミ袋があふれてたら、
 上から見れば分かりますよね。」

 

「その具体的な例え話は必要?
 そんなクレームいれられても、
 忠告の手紙を出すぐらいしかできないよ。」

 

捨て忘れたゴミ袋を、ベランダに放置するのは
なにも珍しくはない。

 

発酵はっこうの進む夏場ならともかく、
冬であればなおさら気にしないだろう。

 

管理人になってからというのも、
住人の生活までムダに考えてしまい
眠れなくなることもある。

 

「あの人、お仕事なにしてるんですか?」

 

「さぁ。てか個人情報だから、
 知ってても教えられないよ。」

 

毎月の家賃がつつがなく振り込まれていれば、
きっと無職ではないのだろう。

 

山木やまぎせい。27歳、独身。自営業。」

 

「え? なに? なにしてんの?」

 

「教えていただけないので、
 私が勝手に調べてるんです。」

 

「どうやって?」

 

千秋さんとしばらく目を合わせたが、
彼女は無言のままパソコンに視線を戻した。

 

「なんか言って。」

 

「えぇ…彼は不正出金事件の被疑者ひぎしゃですから。」

 

「…被疑者ひぎしゃ?」

 

「はい。2ヶ月ほど前からですが、
 国民年金が未払いだった人間の口座から
 勝手に引き落とされていたんです。」

 

「…そうなんだ。彼が犯人?」

 

僕は彼女との会話より、集合ポスト上の
蛍光灯を取り替える作業を優先した。

 

「この事件の発覚で、
 該当するプログラミングを担当していた
 レオナールの加賀さんがまず疑われました。
 かれは1ヶ月ほど失踪しっそうしましたが先月、
 身柄みがらが確保されたみたいです。
 でも容疑を否認して、当のお金も行方知れず。
 加賀さんが依頼していた下請け会社や
 フリーのプログラマーらを、私のいた会社、
 アスタロトが調査している最中です。」

 

「調べてるの…?
 それじゃ、異臭っていうのは…。」

 

「えぇ、比喩ひゆ表現です。」

 

事件のニオイ、という比喩ひゆよりもただのウソだ。

 

「いいの?
 そんな重要そうな話を僕にしゃべっても。
 守秘義務しゅひぎむとか。」

 

「えぇ。会社はさっき辞めましたから。」

 

「は? それもなにかの比喩ひゆ?」

 

…家賃は?

 

管理人になってまだ日も浅いが、
一番重要なことが脳裏のうりをよぎる。

 

「ここのWi-Fiワイファイルーターから履歴を掘って、
 真澄さんの打ったソースコードを見ました。」

 

「え…?」

 

僕は血の気が引くのを感じた。

 

千秋はなおも恍惚こうこつと語る。

 

「真澄さんのコードはどれもくせがなくて、
 基本に忠実ちゅうじつでいて美しくって
 学校で見た時、私、一目惚ひとめぼれしたんです。」

 

「そう…? 学校?
 いや、履歴の…なにを見たの…。」

 

「真澄さんは自らのソースを
 ネット上に公開してたんですね。」

 

「…それ、普通だよ。」

 

逆に自らプログラミングしたコードを、
ネットに上げていないプログラマーなど
いまでは希少といえる。

 

「それをフリーランス山木やまぎさんや、
 下請けの方たちが利用して納品したので、
 担当だった加賀さんが真っ先に疑われました。
 やっぱり不正出金事件は――。」

 

彼女の推理通り、不正出金事件の実行犯は僕だ。

 

マンション相続の問題があり、
会社の安月給ではまかなえきれず、
加賀の責任になるようにコードを忍ばせた。

 

僕は無言のままうなずいた。

 

「ほとんど無作為むさくいにも思えるモジュールを、
 プログラマーが各コードから拾い集めることで
 ひとつのプログラムとして完成させるなんて、
 突飛とっぴ過ぎてこんなの誰にもマネできません。」

 

「加賀の欲しがる仕様は、
 散々電話で聞かされてたからね。
 コードをあげれば誰かコピペするでしょ。
 古くてスパゲッティコードおちいりやすい
 COBOLなら、それが可能だと思った。」

 

いた種が芽を出さずに終わると思っていたが、
執拗しつような加賀の電話は僕にとっては好都合だった。

 

綺麗に整えられたコードほど
利用者からは信用され、評価に繋がるので
検証はやがてなおざりになっていき、
不正出金プログラムをしのばせられた。

 

セキュリティホールの原因は人間にある。

 

「千秋さんは探偵ごっこの為に、
 Wi-Fiの履歴を見たんだね。」

 

「犯罪に片足突っ込んでいますけど、
 これはスリリングでちょっと楽しかったです。
 からまったスパゲッティコードでもほぐせば、
 真澄さんの意図いとを私は読み取れます。」

 

「そうか…。それはよかった。」

 

度重たびかさなるハラスメントに対する
加賀への報復ほうふくのつもりもあった。

 

不正で手に入れたお金から、
犯罪への恐怖で眠れない日もあった。

 

捕まれば両親の残したマンションを
手放すことになるのだと思うと、
相続に対する矛盾むじゅんいだき、自分の犯した罪と
そのおろかさにあきれて笑いがこぼれる。

 

死んだ両親や、プログラミングを教えてもらった
エナ先輩にもきっと顔向けできない。

 

クレジット署名はありませんでしたが、
 念の為ネットに上げてる真澄さんのデータは
 勝手ですが私がアカウントごと削除しました。」

 

「え?」

 

僕のデータは不正出金事件の
証拠しょうこになりうるものだ。

 

「で、お詫びに真澄さんのを私が改ざんして、
 暴動の関係者リストを拾い上げましたので、
 かれらの口座から不正出金の被害者に
 補填しておきました。
 あ、ついでに暴徒の背景にあった支援者も、
 このリストに追加しました。」

 

千秋がノートパソコンの画面を見せる。

 

「ちょ…なんでそんなことしたの?」

 

「だってぇ。聞いて下さいよ。
 リモートワークのこのご時世に、
 会社が出勤しろってうるさいんですよ?
 疫病えきびょうの原因も暴動関係者が原因ですし。
 真澄さんが犯人だって証拠ももうありません。」

 

キーひとつを押下おうかして、コードが全て消えた。

 

「私と真澄さんのふたりだけの秘密ですよ。」

 

「なにを…? なに考えてるの、千秋さん。」

 

「わたし、仕事よりも結婚優先なんで。
 真澄先輩とマンション経営もいいかなって…。」

 

彼女がノートパソコンを投げ捨て、
僕の腕に飛びついてきた。

 

真澄…先輩…?

 

彼女は僕を先輩と呼んだ。
彼女は同郷…、それはコンピュータ部の…。
…結婚?

 

「…え?」

 

あっけらかんと言ってのける彼女は、
仕事に生きていた僕とは真逆の生き方を選んだ。

 

おんな同士どうしで…?」

 

「私が相手だとイヤですか?
 正妻せいさいじゃなくても、めかけでもいいですよ。
 家賃で足りなければ私が働いて稼ぎますから。」

 

「愛が重たすぎて怖いよ。」

 

女同士で結婚なんて、僕は考えたこともなかった。

 

「もちろん合法的な手段で、ですよ?」

 

犯罪の手口を証明しょうめいしてみせた彼女は、
僕の犯罪の証拠を勝手に隠滅いんめつした。

 

狂気きょうきにも似た献身けんしんさで微笑ほほえむ彼女は
悪魔のささやきのように、僕の心を惑わす。

 

そのとき、ちょうどスーツ姿の賃貸仲介業者が、
マンションの下見希望者を連れてやってきた。

 

枝毛の多そうなボサボサの色せた金髪、
猫背で灰色のスウェットにサンダル姿で、
報道で見かける無職の容疑者みたいな女性だった。

 

「真澄先輩のお客さん?」

 

僕の表情を察して、千秋が呼びかけた。

 

僕とその女性は、記憶にある
中学生時代の姿にお互い驚いた。

 

輝くような金色の長髪に、
ピンと伸びた背筋の女生徒。

 

新入生がコンピュータ部の見学に来るからと、
格好かっこうつけた先輩を思い出す。

 

「エナ先輩?」

 

「あぁ、やっぱり、すみすみだぁ。」

 

この間の抜けたしゃべり方はやっぱり、
中学時代一緒だったコンピュータ部の先輩だった。

 

「下見希望って。」

 

「そうなの。あのね、
 会社辞めてもう3年くらいかな?
 私がネトゲばっかやってたら、
 家族が実家を追い出すー! って、それで
 すみすみの名前のマンションがあったから
 もしかしたらって…。」

 

「真澄先輩の先輩? 無職なの?」

 

千秋さん、あなたも無職だよ。

 

千秋に言われるとエナ先輩が
じて弱々しくうなずく。
その仕草しぐさも昔のままだ。

 

三十路みそじでホームレスはやだよぉ。」

 

エナ先輩はめそめそと泣き始めた。

 

僕は隣の千秋さんを見下ろした。

 

彼女はエナ先輩を興味深げに見て、
えくぼのまぶしい顔で僕に微笑ほほえみ返した。
つまり彼女の優先順位は変わらない。

 

管理人となってもうすぐ1年。

 

先輩と後輩、ふたりの無職と僕の、
奇妙な生活が始まるのだけれど、
その話はまたいつか――。

 

 

(了)